私の会社には有給を連続5日で取得するホリデー制度がある。
普段バタバタすることの多い職種だが、仕事が運良く落ち着くタイミングを見計らい、合間を縫って必死に取得してきた。

休日は普段の睡眠負債を消化することに勤しむことが多かった私だったが、初めてホリデー取得ができたとき、ふと旅行という選択肢が頭に浮かんだ。

もともとは、お金がかかるのはもちろん、人に気遣ったり寝られなくなったりで、旅行というものを消耗が激しくハードルの高いイベントとして捉えていた。

しかし社会人になった今、1週間の休みを得たところでどうしたらいいかわからない。無趣味だし、寝るには持て余してしまう期間。平日に呼び出せる彼氏も友達もいなかった。それなりに貯金もできてきたし、ということで旅行という贅沢かつ(私にとっては)ビッグイベントに手を出すことにしたのである。

転勤した友達に会いに。東京にいたときよりずっと仲良くなった

1年目は、名古屋に転勤してしまった高校時代の友達に会いに行った。
名古屋は通過したことしかなかったので初めての上陸で、正直友達がいなきゃ一生降りなかったかもしれないなんて思った。友達の寮であれやこれや話して、翌日が平日だったので朝2人でコーヒーを飲んで友達の出勤を見守り、解散した。

その友達とは、東京で一緒に過ごしていた頃よりずっと仲良くなった。
「同性だけど遠距離恋愛〜」なんて笑いながら話したけど、実際こんな感じなんだろうなぁなんて考えた。したことないけれど。

少しいやらしい話だけど、お金と時間をかけて会いに行くなんて、自分の気持ちがよほど伴わないとできないことだが、名古屋までの運賃や時間がもったいないとは微塵も思わなかった。私はその友達が本当に好きなんだ、と痛感した。きっと沖縄とか離島でも、その気持ちは変わらない。

平日に、京都の街を歩く。罪悪感のような優越感と

コロナの規制が少し緩まった2年目の春は、1人で京都に行った。
京都が目的というよりは滋賀県の美術館に行ってみたかったのだが、京都を経由しなければならず、せっかくなので立ち寄ることにした。

運良く桜が満開なシーズンで、どこを歩いても花びらがひらひら風に揺れて散っていた。
普段パソコンや携帯ばかり見ているからか、死後はこんな世界に行きたいな、とぼんやり思うほど、全ての景色が現実離れして見えた。
会社から離れて平日に京都の街を歩くなんて、小学校の時に学校を休んでテレビを見てる時くらいの罪悪感さえあった。

そんな旅中、私の休暇を知る由もない取引先からの電話が来てしまった。
私の京都旅行に土足で踏み込むなんて良い度胸じゃん、と社用携帯を鴨川に投げそうにもなったけど、「まあでも私、あなたと違って今京都だし」という余裕を心に持ち、優越感に替えて応対したのも記憶に残っている。

その日の夜はコンビニでお酒とお菓子を買って、ホテルの部屋に戻った。その時の私は、まるでマリオがスーパーキノコをゲットしたかのように最強で、ただただ幸せだった。
いつもは憂鬱なお風呂もすぐに済ませて、いつも見ないバラエティ番組を見て大して面白くないシーンでもケタケタ笑い、「私」以外の実体が存在しない世界を作り出した。
一人暮らしの自分の家もそれなりの世界があって好きだけど、全く違う、でも間違いなく私の居場所だった。

会社からの物理的な距離は、心の現実との距離に比例する、ということに気付けた旅だった。今度は電波のない島とか行っちゃおうかなあ。

忘れていた感覚を取り戻し、新しい発見をする旅

社会人になってからの旅を振り返って、物質というより概念的なものを得るためのもの、という認識が強くなった。
大学生の頃までは、旅行といえばあのご飯を食べたい、ここに行きたい、といった現地での食や体験を目的にしていた。だからこそ、旅行先で何かトラブルがあればその達成を妨げるものとして心の負荷がかかり、「旅行は疲れる」なんて思ってしまっていたのだと思う。

今では、旅を経て何が自分の中に残ったかを振り返り、楽しみ、浸るものとしてするものに変わった。こう考えると、旅先のトラブルも可愛い思い出として消化されていくのだ。

もちろん前者の目的を持ってもいるけれど、旅をふと、ゆっくり振り返ると、忘れていた感覚を思い出したり、新しい発見があったりする。
頭を使えない私は、身体を使い、遠くに足を運ぶことで体験からその気付きを得る。それはきっと現実世界に戻った時に自分を奮い立たせ、そっと支えてくれるものだ。それは多分、東京で会社と家を往復している生活では見落としてしまうだろう。

だから私は旅をする。自分の人生をより優しいものにできるように。
社会人3年目ももう少しで終わり。何としてでもまた有給を勝ち取りたい。