私にとって旅とは、食事や睡眠のように生きるために必要な行動と同じ――「自分の世界を保つため」に必要な行動である。
プロフィールにもあるが、私こと海藤は「文字で世界を表現することを生きがいにしている人間」である。ここでいう「世界」とは、私の脳内だけにある空想の世界だ。
小さい頃から周りの子に比べて私は、空想の中に生きていたような気がする。成長して少しは落ち着いたが、自分だけの世界を脳内で作るのは変わらなかった。
作品の質は人生経験がものを言うことを知り、取材旅行を始めた
転機が訪れたのは、高校生になってから。「自分の世界を形にしたい」という漠然とした思いが強くなり、本格的に活動し始めたのだ。原稿用紙の書き方もわからないなか、資料を参考に一つの作品を書き上げた。
今、読み返すと酷すぎて頭を抱えてしまうが、当時の私の最高傑作である。
当然だが、落選した。しかしこれ以来、私は作家になろうと決意したのだ。
大学生になって一人暮らしを始めた私から、「門限」という概念が消えた。自分で決め、自分の時間を生きる。まぁ大学の授業という縛りはあったが、高校時代とは比べものにならないぐらい自由時間は増えた。
私はまず創作論などの書籍を読み漁った。それによると作品の質は、人生経験などがものを言うらしい。確かに「百聞は一見に如かず」と言う。
そこで私は出来るだけ出先で、多くの経験を得ることを目標とした。それが取材旅行――旅である。
時間が増えたとはいえ、学生なので行けるのは日帰りの出来る近場だ。そして気になったことは躊躇わずやることを信条とした。
海があったら、裸足になって海に入る……三月の海は、まだ冷たかった。
目的地周辺も探索し、気になった建物や店があったら入ってみる……服装が浮いていて場違いだったが、そこで食べたケーキセットは綺麗で美味しかった。
基本、私はそういう場所には一人で行く。人と一緒に行くことでしか得られないものもあるだろうが、私は人の反応が気になってしまうからだ。感じられる全てで、目の前のものを感じたい。
事前にマナーやルールを頭に叩き込み向かった浅草の「ロック座」
私が大学生時代に一番勇気を出して行った場所は、浅草の「ロック座」だ。いわゆる「ストリップ劇場」である。
女性一人でも大丈夫か?
逆に他の常連客が不快に思わないようにするには、どうするべきか?
などなど、ネットでルポ漫画などを調べ、マナーやルールを頭に叩き込んだ。言い忘れていたが、場所によってはルールやマナーなどを事前に知っておくべきである。「郷に入れば郷に従え」だ。
華やかなステージで踊る踊り子たちは想像していた以上に、とても華やかだった。いつか彼女たちの話を書こうと思っている。
女性だから。若いから。一人だからと、躊躇う気持ちはわかる。でも、こうしているうちにこの世から消えていくものがある。もしかしたら私は一部でもいいから、それらを覚えている一人になりたかったのかもしれない。
作品は「人生で感じたことの塊」で、フィクション交じりの人生旅行記
終わりに、「旅」とは「自宅を離れ、別の地に行く」という意味だ。常に作品のネタを探しつつ、様々な経験を重ねた結果……私にとっての自宅は、「自分の作品の中」になった。生きがいにまでしたからだろうか。
旅行での出先、旅先でなくとも現実で感じたことは全て思い出話のように、私が文字で表現する世界の中に反映されている。エッセイというジャンルなど、ほぼ現実での思い出話で出来ていると言っても過言ではないだろう。作家の作品など、人生で感じたことの塊である。
「人生は旅」とも言うし、作品とはもはやフィクション交じりの「人生旅行記」だろうか?
このコロナ禍で思うように外出もできないが、そんな時に私は映画や小説を読んでいる。空想交じりの作家の旅行記を読み、その世界を旅し、追体験する。そしてそこで感じた想い、経験は私の作品に反映され、いつか私の作品を読んだ誰かの経験になる日が来ることを祈って。