「今の交友関係はどう?楽しい?」と聞かれたら、あと3か月ほどで大学最終学年になる私は、きっと照れながらも「はい、楽しいです」と答えるだろう。
決して広くはない、むしろ結婚した時に披露宴に呼べる人数が少なすぎじゃない?と時には思うくらい狭い交友関係だが、頼れる専攻の友人、趣味を共有できる友人、「こういうところあるよね」と私の悪い癖もちゃんと教えてくれる友人など、少ないながらも友人に恵まれた大学生活であると思う。
しかし、こんな私だが、高校時代は交友関係に頭を悩ませ、時には涙を流しながら帰宅した時もあった。
グループからはぶられた悩みから救ってくれたのも、また友人で…
高校時代、私は5人グループのうちの1人だった。奇数グループはいざという時誰かがはぶられるというのもよく聞く話だが、高校生にもなってそんなのは正直ばかばかしいと思っていた。
しかし、高校3年生になり、皆がだんだんと受験を意識し始めた頃、それが現実のものとなった。
きっかけは些細なこと過ぎてあまり覚えていないが、移動教室のたびに置いて行かれる、友人の誕生日プレゼントを私抜きで選びに行っていたなど、気づいた時には私は明確にはぶられていた。「どうして私抜きで選びに行っちゃったの?」と問いただした時もあったが、簡単に話を逸らされてどこかに行ってしまった。
この状況に限界を感じ、誰かにこのことを話さないと自分がつぶれてしまうと思った私は、真っ先に頼ったのは親ではなく、別の高校に通う中学からの友人であった。彼女とはお互い忙しく、当時は半年に1回遊ぶ程度であったが、現在でも交友が続く親友と呼べる友人である。
話を受け止め、状況整理をしながら「今後」を一緒に考えてくれた友達
夜、私は泣きながら彼女に現状を伝えた。1、2年生の頃はあんなに仲の良かった友人たちが今は私をあからさまにはぶっていること。毎日が楽しかった1、2年生の頃に戻りたい、友人たちとの仲を修復したいと思う気持ち。だが、修復に頭を抱え、大学受験に失敗するくらいなら今のままでよいと思う気持ち。
電話ではあったが久しぶりに声を聞いた彼女は、話を遮ることなく冷静に聞いてくれ、気持ちの矛盾も否定することなく受け止めてくれた。そして、これから高校卒業までどうやって過ごしていきたいかを状況整理をしながら一緒になって考えてくれた。
もちろん、彼女と話すことで高校の友人たちとの関係性が劇的に変わるわけではなかったが、それでも彼女に今の状況を打ち明けることで、気持ちが随分と軽くなった。
毎日顔を合わせるのは気まずくなった高校の友人だが、電話をすれば親身になって話を聞いてくれる中学の友人がいる。そう思うだけで、残りの高校生活もどうにか乗り越えられる気がした。
後になって両親と年の離れた姉にも同じことを相談し、もちろん同じように親身になって今後のことを考えてくれた。
支えてくれた友人との日々は、今の私を作る大事な要素になっている
高校卒業から約3年が経ち、あの時どうして18年間毎日一緒に過ごしていた家族ではなく、半年に1回しか会えない中学からの友人を真っ先に頼ったのか、もう一度考えてみた。
家族に心配をかけたくない。まずはこれが大きいと思う。高校生にもなって交友関係に悩んでいる娘の姿を家族に見せたくない、という強がりの気持ちがあったのだろう。この姿を友人に見せるのにも多少の戸惑いはあった。
しかし、その戸惑いを捨てて打ち明けられたのは、家族にも負けない、彼女との濃い中学の3年間があったからだと思う。時には男子からの心無い言葉にも耐え、時には部活の仲間として苦楽を共にし、時にはお互いの好きな人を共有し合った。
喧嘩し、口をきかない時もあったが、最後はちゃんと仲直りをした。家族とでは決して経験することのできない3年間が高校時代の危機を支え、そして大学生になり、住む地域が別になっても絶えることのない仲となったのだろう。
親友と呼べる友人ができた中学時代、関係を修復できずに終わってしまった高校時代、そして狭いながらも友人に恵まれた大学時代。どれも今の私を作る大事な要素である。これから先、社会に出たらまた新たに不安や悩みを抱えるだろう。
しかし、私を一番よく知る家族が、そして家族にも負けず劣らずの絆を育んだ学生時代の友人たちがついているのだということを忘れてはいけないと改めて感じた。