私は都内の大学で栄養学を学ぶ大学3年生だ。卒業したら奄美大島に移住することを決めている。
私の奄美大島との出会いは1年半前、そして移住を決めたのはつい3か月前の話だ。
高校3年生で訪れたカンボジアがキッカケで、旅の目的は変わった
そもそも私が旅を始めたのは大学生になってから。高校生までは家族で沖縄2回と修学旅行ぐらいでしか旅行したことなく、「楽しいなあ」といった漠然とした気持ちだった。
しかし、私は高校3年生の春に行ったカンボジアでの出来事がきっかけで「住む場所を探すために」旅をすることになった。
当時の私は受験が推薦で早く終わり、12月から暇を持て余していた。大学が始まるまでの3か月間で何かできないかともやもやしていた時、ふと世界の現実を見たくなった。「授業やテレビで見聞きしたあの開発途上国の現状は本当なのだろうか」と。
そこで選んだのが、電気も水も通っていないカンボジアの村での教育ボランティアだ。その村で私は、23歳の私とそう歳が変わらない男性駐在員さんと出会った。彼も私と同じようにボランティアとして来たのに、今では永住権も獲得してこの村で生涯を過ごすことを決意したそうだ。
移住の理由を尋ねてみたら、返ってきた言葉にハッとさせられ…
私は疑問に思った。何が彼をそこまで引きつけたのか。1週間同じ村で過ごしてみたけど私には分からなかった。
小学校からの帰り道。夕日の方向に向かって自転車をひきながら一緒に歩く彼に尋ねた。
「どうしてここに移住しようと思ったんですか?」
彼は目を輝かせて振り返りながら、こう答えた。
「この村に入った瞬間に感じたんだ、この土地に呼ばれてるって!!!」
その言葉に私はハッとした。
「なんて羨ましい。私もそんな場所に出会いたい」
私には地元愛がなかった。中学校から私立の中高一貫校で隣の市に通っていたから地元に友達もいなかったし、思い出もなかった。
今思えばさみしかったのかもしれない。だからこそ彼の言葉に強烈に引きつけられたのだろう。
そこから私の「住む場所を探すための旅」が始まった。
初めての一人旅行では、今までで1番人の優しさに触れることができた
大学1年生の最初はお金もなかったので、春から本格的に動き始めた。そして、大学2年生の夏。自分への20歳への誕生日プレゼントとして選んだのが「奄美大島での初1人旅」だった。
旅を始めた者として1人旅は憧れだった。飛行機の予約さえドキドキして母に「いい?!ほんとに予約するよ?!」と半分叫んで目を瞑りながら予約したのを今でも覚えている。
数ある旅先の中でも奄美大島を選んだ理由は単純である。それは「本場の鶏飯」が食べたかったからだ。高校の食堂の日替わりメニューで鶏飯があり、毎月メニュー表が更新されると鶏飯の日だけは絶対にチェックするほどの鶏飯好きだった。
旅行中は4つのゲストハウスに泊まりながら島を1周した。素泊まりなのにオーナーさんが今日は「猪肉バーベキューだ〜!」ともてなしてくれたり、シュノーケルの道具を貸してくれたり、今までで一番人の優しさに触れた1週間だった。
しかし、この段階では移住までは考えておらず、「今まで行った場所でどこが一番よかった?」と聞かれたら「奄美大島かな」と答えるぐらいだった。
コロナの影響でなかなか旅ができない中、大学3年の夏に再び奄美大島に行くことになった。
私は新潟県に祖父母がいる。祖父母のいる集落はまさに限界集落で、毎年訪れる度に集落が衰退していくのを間近に見てきた。そこから「地方創生」に興味を持つようになった。
ただ、大学では栄養学という全く異なった学問を専攻しているため、自分で学びに行くしかなかった。地方創生のインターンシップに参加することに決めた。
そこで数ある地域の中から選んだのが「奄美大島」だった。せっかく地方創生するなら自分の好きな地域を応援したいと思ったからだ。
奄美大島が1番かは分からないけど、そこには「なりたい大人」がいた
1か月間、インターン業務をこなしつつ奄美大島の様々な場所に出かけた。奄美の自然も文化も食も大好きになった。
でも一番好きになったのは地域の人だ。いつでもご飯食べにおいでと言ってくれるおばあ。趣味が職人レベルまでになっちゃったおじい。
「シマ唄は聞いて覚えるものじゃ」と言ってちゃんと教えてくれないから、独学で習得した若者。上手い下手なんて気にせず太鼓に合わせて踊りまくる若者。帰ってからも結局出会った人たちのことが頭から離れなかった。
時は大学3年生の冬。そろそろ私もちゃんと就職のこと、住む場所のことを考えなければならなくなった。どこに住みたいだろうか。
「奄美大島、一択だった」
3年間で行けた場所なんて世界の1%にも満たないかもしれない。それにどれも同じ条件で過ごしていたわけじゃない。
だから自分にとって奄美大島が1番かは分からない。
でも、少なくとも今まで行った場所の中で「こういう大人になりたい」と思える人が一番多かったのが奄美大島なのは確かだ。
私も分け隔てなく誰にでも優しくなれる人になりたい。一つのことを極められる人になりたい。恥を捨てて自分を表現できる人になりたい。
あの人たちと同じ集落に住めば、なりたい自分に近づける気がした。
住む場所を見つけたから私は一回旅を休憩しようと思う。
実際このエッセイは山形の銀山温泉に向かう途中で書いているのだが、全然ワクワクしないのだ。昔は新しいところに行くたびに心踊ったのに、今の私の心は奄美大島でしか動かなくなってしまったらしい。
また心が躍るようになったら旅を再開しよう。次は世界で。