人と関わるたびに不安に感じ、実際に何度も間違った対応で怒らせた
私は他人と関わることが苦手だ。正確に言えば、他人と関わることがとてつもなく怖かった。
「相手の気持ちを考えましょう、想像しましょう」
幼少期からの道徳教育や巷のコミュニケーションハウツー本には、そのような類のことが書かれている。私は素直にそれを実践しようとするが、そもそも「他人」と「自分」は別個体の人間であるからにして、想像したところで相手の気持ちなんか正確に分かるわけがない。ある程度の想定は出来るが、正確に把握するのは不可能だろう。
「本当にこの想定で合っているのだろうか?」。人と関わるたびに不安に感じ、実際に何度も間違った対応をして相手を怒らせ呆れさせることも多々あった。
家庭では、母親から「お前は場の空気が読めない子だ」と言われて育ち、その度に自分の人間関係スキルへの自信はどんどんなくなっていった。一番身近で“立派な大人”であると幼少期から信じ込んでいた母親や父親が、私なりに相手(母と父)のことを考えた言動で、いきなり怒ってブチ切れたり否定したりしてくることが多々あるのだから、「空気が読めない」という私への評価は概ね当たっているのだろうと思った。そのように信じて大人になった。
学生時代は友達と話す度に緊張して、それでも致命的なミスはせずに表面上の人間関係は取り繕っていたが、結局"表面上"の関係で終始した。親友なんてものはつくれなかったし、不安や緊張の記憶ばかりで、楽しかった記憶はあまりない。
就職したあとも、他人と関わるときの不安感は続く。
私の会社は幸運にも紳士的な人が多く、パワハラのように理不尽に怒られることはほぼなかったが、それでもやはり上司や先輩と話す時に異常に緊張してしまった。先輩は“ものすごく大人で仕事ができる人”に見えたし、上司は“ものすごく威厳のある賢い大人”に見えた。
どちらの場合も実際にそうであったし、職場の人にはとても恵まれていたにも関わらず、「お前は空気が読めない」幼少期の呪いが脳内リフレインして恐怖で手に汗をかきながら社内の人と接していた。
相手の気持ちを考えるつもりで、安っぽいお世辞を使ってきた
「少しでも人と自信を持って関わりたい」。そう願っていた時に、たまたまネットで読書が趣味という人のブログをみつけ、「生涯読んだ中で役立つ本ベスト3」という記事を読んだ。その中に「人間関係で悩んだらおすすめの本」としてD・カーネギーの『人を動かす』という本が紹介されていた。
人間関係関連の本を何冊も読んでは無駄にしてきたため、暫くはそうした本を買うのは控えていたのだが、「かなり昔に出版された本で長年のベストセラー」という紹介文を見て「そんなに長年多くの人に読まれるならば何かしら役立つかも」と思い購入してみた。
『人を動かす』の概要を説明すると、「他人の自己重要感を満たしてあげることが大切」という一言に尽きる。人間は誰しも「自分が重要人物でありたい、他人から認められたい」という「自己重要欲求」を持っていて、それはどんなに世界的な大犯罪者でも、歴史を動かしたような大物政治家でも同じである。しかし、それが満たされることは現実世界ではあまりなく、その要求を満たせる人間が他人から好かれて重宝されるのだ。そうした内容であった。
今まで読んだ自己啓発本は道徳的な精神論や小手先のテクニックしか書かれておらず、自分もそうした道徳論を信じていた。しかし『人を動かす』では「人間誰しも自分が可愛くて自分が一番なんだよ。だから、他人のそうした部分をうまく利用すればよろしい」というカーネギーのさっぱりした考え方が説明されていて、自分には衝撃的であった。
また本によると、他人の「自己重要感」を満たすため単にお世辞やおべっかをつかっても、そんなのはすぐ相手にバレるそうだ。それを真に受けるほど人間はバカじゃないと。
そうではなく、他人の美点や評価を渇望するポイントを日々意識して探し、心からの賞賛を送ることが重要だそうだ。今まで"相手の気持ちを考える"つもりで安っぽいお世辞を使ってきた自分にとっては、こちらも目から鱗であった。
相手が他人からの評価を求めている、こだわりポイントを探すように
本を読んでからは、"立派な大人"と思っていた母親や父親も、"ものすごく大人"な先輩も、"威厳のある"上司も、結局は「他人から認められることに渇望し、重要な人物でありたいと願っている」自分と同じような1人間なのだと思えて、落ち着いて接することができるようになった。また、今まで"相手のことを考えている"つもりだったお世辞やおべっかを捨てて、本当に自分が素晴らしい!と思ったことだけを伝えるようにし、相手が他人からの評価を求めているこだわりポイントを日々探すようになった。
こうした他人への働きかけが、本当の意味で「他人に興味を持つ」ことなのだと実感した。こうした取り組みは、特に母親や父親への効果が絶大であった。
小さい頃はとてつもなく大きい存在であった両親も、結局は人知れずに誰からも褒められず家庭内で家事や育児をこなす一人の人間で、職場で中間管理職としてのプレッシャーに押し潰されながら仕事をする一人の人間であり、それを誰かに認めてほしかったのだ。それに気づいたら、幼い頃からの「お前は空気が読めない」という呪いが軽くなったような気がした。
本を読んだからといって正確に相手の気持ちを推し量ることは出来ないが、少なくとも「自己重要感」という道標のような主軸を手に入れることができた。
これからの私は、上辺だけのお世辞やおべっかではなく、相手へ心からの賞賛を送れるポイントを日々探しながら、そのアンテナ精度を高めていきたいと思う。