誰かに褒められたりしなくても、私自身が一番、頑張っている私を知っている。
お疲れ様、今日も頑張ったね。
夫婦で子育てしているのに、褒められるのはパパの方で
子供が生まれて私は「ママ」になった。「ママ」は予想以上にしんどかった。
「パパが育児に協力的でいいね」
「パパの職業は安定しているからいいね」
「パパはしっかりしてるもんね」
「パパはすごい」
「パパは偉い」……。
夫が何かするたびに褒められる状況を、私は苦笑いで受け流す。
知ってる、尊敬するとこたくさんあるもの。でも、本当は私も頑張ってる……。
ママが育児をするのは「当たり前」で、パパのように褒められることはない。
怒涛のスケジュールと溶けるように流れ落ちる日々。ずっと続く疲労と寝不足。これが「当たり前」で片付けられるママというイメージの闇は深い。
一生続くのだろうか。ゾッとした。
「無理しないで、ゆっくり過ごして」と仏のように優しい夫は、いつもこの言葉を私に言う。多忙で有休消化もできない夫に気遣われるたび、心が痛んだ。
「無理しない」「ゆっくりする」とは一体どうしたらいいのか……頭が回らないまま日々は過ぎていく。
ひとりで過ごす環境を提供してくれたり、「マッサージ予約したから行っておいで」と言ってくれたり、行動に移してくれればなぁと当時を思い出す。ただ夫自身そこまでの余裕がなく、どうしていいかわからなかったんだろう。
頑張りすぎて体調を崩し、私は一切「頑張らない」ことにした!
いよいよ体調を崩した。時短ワーママ、ワンオペ、子供は一人、今の時代ありふれた状況なのに、なぜ私はうまくできないのだろう。全てのことが向いてない。消えてなくなってしまいたかった。
病院で入院を薦められた。全てのことを休むことにした。
一切頑張らなくなったら、どんどん良くなった。夫の帰宅時間が早まった。お風呂から寝かしつけまで任せることにした。
苦手だった夕飯作りも、子供の分さえあれば気にしないことにした。レトルトや惣菜のフルコース、夫のご飯がないことも当たり前になった。
興味のあったキャリアスクールにも通うことにした。自分らしい働き方を見つけるため、さらに自己投資もした。休職して、そのままフェードアウトした。
疾病扱いで、保育園に引き続き預けてもらえることになった。送り迎えを歩くことにした。すると、子供との会話が増えた。
夫と子供だけで帰省してもらった。今まで皆無だった自分ひとりの時間が増えたのが、最高に嬉しかった。
ママをやりつつ「自分」を見失わないように素直に生きる
「ママ」はしんどかったから、我慢をやめることにした。
「ママ」をやりつつ自分を見失わないためには、したいこと、したくないことに素直になること。
夫は言う。
「モエちゃんと娘ちゃんがいるから頑張れるんだよ。いなくなったら僕は腑抜けてしまう」
そっか。今日私が生きているだけで、家族が幸せでいられる。
たくさん迷惑をかけたとしても、生きよう。今日も頑張ったね、お疲れ様。