1人でも大丈夫になる。半分祈りを込めながら宣言するのには理由がある。
これまで常に恋人に合わせて生きてきた。ライフプランもビジネスプランも、そんなものはない。愛する人のライフプランを自分の人生に同期させていた。
やりたいことなんてなかった。好きな人とずっとそばにいられることが、私のやりたいことだった。
救いようのない馬鹿である。

婚約は破断。やる気が起きなくて、完全に自分を見失っていた私

私って本当にしょうもないな。
色々あって婚約が破談になり、寂しさから手あたり次第に始めたマッチングアプリも飽きてきた頃、不意にそう思った。
自分が相手を気に入らず連絡をとらなくなったり、自分が相手に気に入られず連絡がこなくなったりする度に、どっと疲れがくる。この何とも言い表しがたい疲弊感は、一体何なのだろうか。

仕事は結婚するということもあり、あっさり辞めていた。専門商社の営業としてバリバリ働きながら、休日は左手の薬指にダイヤの指輪を光らせる自分から、職なし恋人なしのアラサー女に大変身したのである。
次の仕事を見つけようにも、何がしたいのかわからない。やる気が起きない。完全に自分を見失っていた。あ、最初から自分なんてなかったか。これまでの恋愛において、自身の人生や精神など、全体重をかけて相手に寄りかかることが誠意の証明だと思っていた。

私には貴方しかいませんよ、私の人生は貴方のものですよ。
今こうして文字にすると、どれ程吐きそうなくらい気持ちの悪いことを考えていたのかよくわかる。

マッチングアプリの疲弊の原因。自分が自分を好きになれていないこと

しかし、その相手がいなくなるとどうなるか。たちまち地面に倒れこむ。
痛いし、情けないし、寂しいし、悲しいし、惨めだ。更に、頑張って立ち上がらなければならない。
そこまで気が付いたとき、マッチングアプリでの謎の疲弊感の原因がわかった。
自分自身が自分のことを好きになれていないのに、誰かに気に入られようとしているからだ。どこかで自分のことを駄目だと思っていながら相手を値踏みしたり、自分の駄目さを誤魔化したりして、縁がないと「自分が駄目だからだ」と必要以上に落ち込んでいた。

なんだこの状況。痛々しすぎる。痛々しい自分を、何とかして変えたくなった。
最初から自分の足だけでしっかり立ちたい。できれば歩いたり止まったりもしたい。もちろん倒れこむこともあるだろう。
でも、自分で歩いて転んでも、笑い飛ばせばいいじゃないか。遅いかもしれないが、過去を変えることはできない。とにもかくにも、私のスタートは2022年なのだ。

1人でも大丈夫になろう。荒波だって笑いに変えてやる

マッチングアプリを全て退会して、人生の計画を練った。やってみたいことへの挑戦から、逃げないことにした。
繋ぎのつもりで何となくやっていた仕事を辞め、学校の見学に数か所まわり、当日に決めて申し込みをした。
胸の中の不安は、親友と日記にぶつけた。学校に通いながらでもできるアルバイトを探し、月に数回、寝る前に友達と電話をしながらサブスクで同じ映画を観る。
1人で散歩に出掛けて、気になるカフェで好きな本を読む。幼馴染みと旅行の計画を練る。好きな曲の歌詞をじっくり考えてみる。寂しくなったら、思考を言語化する。スマホを部屋においてベランダで夜空を眺める。大切な人を惜しみなく想う。

1人でも大丈夫になろう。独りぼっちという意味ではない。自分の人生を、自分1人の選択の連続で彩るのだ。
私なら大丈夫だ。荒波だって笑いに変えてやる。私の人生は、私のものだ。
まずは2022年の新しい私、改めましてよろしくお願いします。