私は中の上の美人です。
大手芸能事務所のオーディションで書類落ちしたことはなく、告白・スカウトに慣れている程度のルックスです。
高校からは友人を守る立場として過ごしていますが、小中学校ではよくいじめられました。それゆえ攻撃してくる人を見ると、「この人は気の強さだけで生きてきたんだな」と思ってしまいます。

もう何をやってもダメで、どう頑張ってもいじめられっ子という諦め

小学5年生のとき、名札がなくなりました。
小学6年生のとき、椅子に画鋲が撒かれていました。
中学1年生のとき、上履きが車道に捨てられていました。
中学2年生のとき、机の中にわざと穴をあけたマーガリンの袋が入れられており、それに気付かなかった私は勢いよく教科書を突っ込んでしまい、教科書がマーガリンだらけになりました。
中学3年生のとき、体操服がなくなり、見つかった体操服の背中には上履きで蹴られた足跡が付いていました。
その上、給食の時は幼馴染だった男子に「先生に残しているところを見られたくないからお前が食べろ」と言われ、残飯を食べさせられました。仲良しだった人にそう言われると、もう何をやってもダメなんだろうなという気持ちになりました。
どう頑張っても私はいじめられっ子だという諦めが、悔しかったです。

先生たちは自分が標的になりたくないから、いじめっ子に好かれようとしていました。
その姿が滑稽で、こんなことしか出来ないまま、この人たちは一生を終えるんだなと思うと、可哀想にも思えました。

モテ期がきても自己肯定感が低い私は、男子の対応に疲弊する毎日

「人生をリスタートしたい。私がいじめられていたことを知ってる人がいない場所で生きたい」
そう願って高校受験を頑張り、知り合いのいない県内一の高校へ入学しました。
春休みに入念にイメージトレーニングした甲斐があり、人気者の友達に囲まれて青春を謳歌しました。そして高校2年生の頃、空前のモテ期がやってきました。
私はいじめられっ子だったので美人なのに自己肯定感が低く、普通に過ごしているだけで謙虚だねと言われました。男子の猛アタックに押されながらリアクションをとるのに疲弊する毎日で、距離をとったり断ったりすることに体力を擦り減らす日々でした。
しかし、疲弊をよそにモテ期は容赦なく続きます。好かれないようにわざとダサい格好をしたことも、絶対振ってくるだろう相手に告白して「振られた女」になったこともありました。
攻撃されることが嫌いな私は、相手を傷付けることではなく、自分を傷付けることでしか自分を守れなかったのです。

そんな私は、陰でこう言われることが増えました。
「美人だから苦労を知らないよな。羨ましい」
返す言葉がありませんでした。

要らぬ称賛を毎日受け止めているのに、黙ると愛想が悪いと言われる

美人のデメリットをまるで分かっていません。
好きでもないのに近付いてきて、私を友人として利用してくる女々しい男子もたくさんいました。
相手にしてくれないからといって、「顔だけのくせに。代わりなんて幾らでもいる。もっと美人だってたくさんいる」と攻撃してくる男子もたくさんいました。
かといって美人であることを自覚せず、友人と同じように振る舞っていると、「美人なのに気分屋だよね」と言われるので、自分を見失いそうになりました。

私は美人だと認識すべきなのだろうか?
だれがそんなことを美人の役目だと決めたのだろう?
要らぬ称賛を受け止め、打ち返す日々。毎日受け止めているのに、ふと一瞬「やすみたい」と思って黙っていると愛想が悪いと言われる。そこだけ切り取って罵倒される。
一体なんなのだろう。わたしは常にニコニコしていなければいけないのか。
芸能人でもないのに。お金をもらって愛想を売っているわけでもないのに。どうしてわたしはそこまで完璧な愛想を求められるのだろう。
立ち止まりたいと思い私から笑顔が消えた日に、私の気持ちを考えることなく自身のコンプレックスをバカにされたと勘違いして八つ当たりしてくる人は被害者なのでしょうか。
私は加害者なのでしょうか?