先日、離婚しました。28歳の冬の出来事でした。

結婚した時、苗字が変わり、新しい私になった気分になりました。結婚して、年収が200万低い会社で新しい職種に挑戦を始めました。結婚して、薬指できらめく指輪が世の中の不条理なことから私を守ってくれているような気がしました。結婚して、どこに行っても「奥様」って呼ばれることに幸せを感じていました。

離婚した今、私は私を、これでもかってくらい、抱きしめてあげたい

結婚した私は、人生史上一番「女」としての幸せを享受出来ていた、いや、享受しようと必死になっていました。これが「女」としての最高の幸せなんだと、そう満足した気持ちでいたのですが、いつしか、自分の幸せが分からなくなってしまいました。

離婚した今、私は私を、これでもかってくらい、思いっきり抱きしめてあげたい気分です。最愛の人を傷つけてでも、自分の幸せを選べた自分が、自分の幸せがどんな形をしていたのか、見つけられた私が、心から誇らしいのです。

女らしく、結婚生活が上手く行かないことを見て見ぬふりして涼しい顔なんてしなかったこと。いい妻を演じて、納得出来ない付き合いに参加しなかったこと。仕事を辞めず、キャリアを捨てなかったこと。結婚というものが、女の幸せだと言われても、それが本当に自分の幸せかどうかきちんと考えたこと。

社会が作った「女」としての幸せという物差しが、女性を苦しめている

でも、私の離婚を祝福してくれる人は、周りにひとりもいません。
「皆必死で婚活頑張ってるのに、30手前で離婚してどうするの」
「結婚生活で女が我慢できなくてどうするの」
「早く新しい人を見つけなさい」
離婚を通じて、社会が作った「女」としての幸せという物差しが、女性を苦しめていることを痛いほど目の当たりにしました。
「わかってない」
「同じ女と思えない」
「いつまで子供でいるつもり」
私に投げかけられたその言葉が、どうか過去の価値観となって消えて欲しい。明日からの未来にそんな言葉が行き交いませんように。社会が作った「性別」に、誰も傷付けられませんように。社会が作った「女」というイメージに、誰も傷付けられませんように。「女」としてではなく、この世にただひとりの「私」の幸せに、全ての女性が辿り着けますように。
そしてこの世界にたくさんの「私」流の幸せが乱立していて欲しい。そしてたくさんの幸せの選択肢が、お互いを助け合えるような世界になってほしい、って思います。

何歳になっても、恋をしてときめいて、パートナーを探す

私はこれからも、素敵なパートナーを求めて、何歳になっても恋をするし、自分ウケ100%のときめきのために年齢とファッションは切り離して考えるし、自分の力で自分のために可愛いものを買ってあげたいから、家庭に閉じこもったりしないし、卵子凍結して、未来のパートナーにぴったりの異性を、私が探したい。

他人はそれを、はしたないとか、ヒステリックとか、空気読めないとか、性欲ババアとか、痛いババアとか、言うかもしれません。私はそのどれにもなりたい。
この人生は、私だけが知っている、私にしか当てはまらない、私のための幸せの形を探すための旅なのです。
幸せな「女」じゃなくて、俗に言う痛いババアに、私はなりたい。