小さな頃から海外に行くのが夢だった。17歳にその夢は唐突に叶い、初めてアメリカに行ったのだが、私の思い描いた夢の国とは全く違っていた。
デトロイト空港から出て、外の空気を吸ったとき「ここも日本と同じ現実だ」と、ホストファミリーに挨拶をしながら落ち込んだ思い出がある。

夢に見た留学生活。でもアメリカも同じ現実の世界

アメリカにいたとしても、「ありがとう」「ごめんなさい」「こんにちは」が基本であり、気を遣わなくていい、のびのびした環境になるはずもなかったのだ。
これから私の身の回りの世話をしてくれる、初対面の外国人と上手くやっていかないといけない。
夢が叶う瞬間に落ち込んだのは、初めての体験だった。右車線を進む車の中でミシガン州の景色を眺めた。
平たい山があり、外はどんより曇っている。想像したきらびやかな海外とはちがい、実家のある田舎とそうたいして変わらない。

高校生の私は、毎日の現実に嫌気がさしていた。子どもと大人の境目の自分はいつもどこか自信がなく恥ずかしくて、インターネットの誘惑と勉強に追われた日々を過ごしていた。
自分じゃない誰かになりたかったし、自分の好きな部分だけで構築できるインターネット人格の私でいるのが一番楽だった。私は自分がSNS中毒なのも分かっていて、そんな自分も嫌だった。

自分の感情が頭の中でグルグル回って、SNSに吐き出さずにはいられない。高校の勉強も難しい。私の脳みそは休むことができなくなり、慣れ親しんだピアノさえ集中して弾けなくなってしまった。
「アメリカに行けば、私は変われるかもしれない」
藁にも縋る気持ちで留学に申し込み、私は試験に受かった。アメリカにいる間は、現実の逃げ場だったSNS断ちをしようと心に決めた。

一生覚えていたいと目に焼き付けた景色。海外渡航は、自信になった

ホームステイ先は20時には就寝で、1人の時間があった。8月のモンローの日没は21時だったため、部屋の窓から見える夕日を眺めるのが毎日の楽しみだった。
窓の外はコーン畑が広がり、夕日に照らされて穂が風になびいている。
心臓の音を感じ、私の頭に響いていた言葉が止まっているのに気がついた。穏やかに時間が過ぎて、身体の力が抜けている。
日が落ちたモンローの景色は、満点の星空に包まれたようで、この景色を一生覚えていたいと目に焼き付けた。

私はすっかり自信を取り戻して、日本の生活が恋しいと思いながら帰国した。初めての海外渡航は、自分を認められない私から、私を解放してくれた。
それから10年が経とうとしている。
大学を卒業して、上京して、転職して26歳になった。

「やるか、やらないか」の世界に挑む。敵は自分で、味方も自分だ

一人暮らしや都会での仕事に慣れた今、「海外を飛び回るような仕事がしたい」と私の夢がまた膨らんできた。
30歳まであと3年と8か月だ。仕事や家事をこなしながら、誘惑の多い都会で英語の勉強に打ち込めるだろうか。
語学の勉強の苦しさは十二分に知っている。「やるか、やらないか」の世界なのだ。私は夢に立ち向かう強い意思はあるのか。この10年間でも挫折してきたことだ。
もちろん自信はない。しかし、後悔はしたくないのだ。

苦しいと逃げ出している、情けない自分から私は変わりたい。1日15分でも勉強を続けよう。2022年は未来に投資できる1年にしたい。1年後、2年後の自分を明確に想像してみるといい。私はどこに住み、どこで働いているだろうか。

英語が喋れなくてもどかしい自分や、勉強が苦しいと言い訳していた自分を懐かしく笑って、「よく頑張った」と自分を褒めているだろうか。私は将来の自分を想像して、今日も机に向かう。

一番の敵は自分であり、一番の味方も自分だ。
「2022年の私は強い」
自信を持って夢に突き進んで行く。