「あけましておめでとう。去年はお世話になりました。今年もよろしくね」
申し訳ないけど、おめでたいとは微塵にも思っていなくて、お世話なぞ全くしていない。
年末年始、普段はストーリーしかあげないインスタグラムに、本年がいかに充実していて来年の抱負を宣言する人が突然現れる。
いつもやっている喫茶店がやっていない。ジムもやっていない。
毎日行っているスーパーがとんでもなく混んでいて、高いものもみんな当たり前のように買っていて、いつも通り納豆と牛乳とブロッコリーを買う自分がなんだか損した気分になる。
人はきっと、連続的に続く生命に、只々流れていく価値の変わらない時間に「節目」という形で何かしらの理由をつけなければ生きることに豊かさを見出せないのだろう。
通勤中に急に涙がこぼれはじめた。自分の「変化」に気づいていなかった
私は今、毎日を必死に生きている。
そこには「近い将来恋人と一緒に暮らすため」だとか、「仕事で昇進したい」だとか、何か目指す地点があってそこに向かうための「必死に生きる」ではない。
朝、無事に目が覚めてほっとして。洗濯物を回すのはできるけど干すことと取り込むことができなくて。お腹が空いても食べたいものが浮かばないからご飯を食べるかどうかを迷ったり、友人や家族からのLINEに返事できなかったり。突然やってくるドス黒い何かに心が潰されて泣いてたら日が暮れてたりして。冬の陽の短さはとても辛い。
会社を辞めて、3ヶ月が経つ。
月曜の朝、東西線で吊革につかまり揺られていたら、急に涙が落ちていた。ボロボロ、ボロボロ、止めどなく。
頑張って化粧したのになあと最初は思っていたけれど、全てが流れ落ち、不織布のマスクを水にひたすとこうなるのかというぐらいの状態になり、だんだん立っていられなくなって漢字の読めない駅で降りた。仕事用のチャットでたまたまオンラインのマークがついていた上司に「SOSかもです」と送った。
気づかなかった。眠れなくなっていたこと。悪夢を見て、その悪夢に臭いがするようになっていたこと。大好きだったコーヒーを飲んでも苦いという感情しか湧かなくなっていたこと。音楽を聴けなくなってしまったこと。「大丈夫?」と聞かれても「大丈夫じゃない」と言えなかったこと。
うつ病と診断され、治すために始めた行動がさらに自分を苦しめた
上司に紹介されたメンタルクリニックで、私には「うつ病」という名前がついた。
今まで生きてきて、休んだことがなかった。「とにかくゆっくり休んで」と言われても休み方がわからなかった。まず眠れないし、24時間ベッドに張りついている方がしんどかった。
「心が軽くなる!」みたいな自己啓発系の本も読んでみた。綺麗事ばかりでファンタジーの本を間違えて買ったのかと思った。とりあえず毎日夕陽を見に川まで片道5キロ自転車を走らせたりもした。ヨガをしたり、ボランティアをしたり、治したくて仕方がなくて、沢山動いてみた。
そうすると、私の外側はとても元気に見えるみたいで、「おしゃカフェに行こう〜」という興味のない誘いが来たり、「もうさ、仕事とかさ、先のこと考えなよ」といった類の言葉を家族から言われるようになった。また、「嫌だ」って言えなかった。「大丈夫じゃない」って言えなかった。
うつ病を治すためだった私の行動は、いつの間にか自分いじめに変わっていた。
「あけおめ!返事遅くなってごめん。こちらこそ去年はありがとう。今年もよろしく!」
もう、こんな心にもないことを言いません。しんどい時はしんどくていいのです。
だからこそ、宣言します。
自分を、ありのままで好きになる。
来年は、「あけましておめでとう、今年もよろしくね」と伝えます。大切だと思える人に。心から。