私は、今までお金には執着したことはない、つもりだった。
ふと思い返すと、わたしと「お金」にはこんなエピソードがある。
家でいつも食べるアイスとは違うコンビニアイスに、衝撃を受けた
たとえば、小学生の頃。
私が家で出されていたアイスはいつもハーゲンダッツ。
それが当たり前だったし、それしか知らなかった。
でも、友人と遊びにでかけてコンビニにアイスを買いに行ったとき、私は衝撃を受けた。
アイスには、自分のおこづかいでも買える、こんなにもたくさんの味や種類があったなんて……。
また、小学生のある時。
友人が、毎日おしゃれでいろんな服を着ている姿を目にして、あれ?と思ったことがある。
私は、あまりたくさんの服を買ってもらったことはなかったし、自分の好みだと思って買ったことはなかったな、と。
今ははっきり分かるのだが、この時母が私に買い与えてくれていた洋服は、ちょっといいブランドの服ばかり。
今だから分かる。
安くてたくさんもいいが、ちょっとだけど良いものを。
母はこういう考えの人だったのだなあと。
そして、私にも口にはせずとも、そう教えてくれていたのだと。
高校生になって、自分のおこづかいで出かけたり買い物をするようになった。
地元なので、近くのゆめタウンや、映画くらいしかないが、彼氏とデートなんかもした。
高校生の時に付き合っていた彼の両親は、公務員だった。
そんなに裕福な家庭というわけではなかった。
学校から一緒に自転車で帰ったり、公園に寄り道したり。
なんでもないときに、ちょっとした文房具のプレゼントをしてくれたり。
それでも私を喜ばせようとしてくれて、嬉しかった思い出がある。
お金もちな彼に複雑な気持ちを抱くことがあっても、寛大な彼を尊敬
大学は医学部に入学した。
私は看護学科で、同じ部活で医学科の1つ上の先輩と付き合った。
その彼の両親は歯医者さん。
まわりでも一目置かれるようなお金持ちだった。
学生にしながら、周りが持っていないような大きな車を持っていたし、一人暮らしなのに自炊道具は一切持たず、毎日外食だった。
彼は、記念日や誕生日にはブラント物のアクセサリーや時計をくれた。
自分でブランド物なんて買ったことのなかった私は、ここでまた衝撃を受ける。
嬉しかったが、こうも思った。
彼はバイトをしていなかったので、これは彼の親のお金で買われた物なのかと。
頂き物をこういう風に思うのは自分でもどうかと思うが、そんな複雑な気持ちを抱きながら付き合っていた。
ただ、そんな彼を尊敬する点があった。
彼はいつ、どんな時でも怒ったりせず、寛大だった。
私はうまくいかなかった時や自分に都合の悪いことがあった時、わりとイライラしてしまうタイプだ。
でも、彼は、いつも黙って話を聞いて受け止めてくれる、そんな人だった。
そして彼のそんなところは、いくら他のところに嫌気がさしても、尊敬できるところだった。
育った環境がまるで違う医者家系の彼も、初対面から変わらず寛大な人
そして現在、付き合っている彼は医者。
彼の両親も医者、親戚もみんな医者の家系の人だ。
この彼とは、育った環境がまるで違った。
私が友達と外で明け暮れていた小学生時代や、部活に明け暮れていた中高生時代は、ずっと塾通い。
自分の車を持てることが周りから一目置かれるような大学生活では、彼はすでに外車を乗り回していた。
彼と思い出話をすると、同じ年数を生きてきたはずなのに、経験も得た教訓もまるで違うということに気付く。
また、彼はあまり記念日や誕生日にこだわる人ではなく、プレゼントなんでほぼくれない。
しかし、たまにくれるプレゼントは、私があげてきた物を足しても足りないのではと思う程の物をくれたりもする。
そんな彼でも、やはり私が尊敬する点は、彼もまた寛大な人である点だ。
初対面の時からそう。
外食は絶対割り勘なんてしないし、車は助手席のドアをあけてくれる。
喧嘩をするとしたら、発端はいつも私で、彼は「うんうん」と聞いて受け止めてくれる。
私が泣いて落ち込んでいたら、深夜でも駆けつけてくれる。
付き合い始めだから見栄を張っているのかと思いきや、4年経った今でも変わらない。
話の聞き役や誰かを支えようとするのは、私だけにではない。
自分の友達にも彼は同じようなことをするのだ。
「お金」はその人の背景や人となりをつくるうえで、実は重要な要素
今までそうだと確信がもてずにいたのだが、私はある時ふと思ったことがある。
「お金」は人となりを表しているのではないかと。
極端な例かもしれないが、お金がないとけちけちして、あまり自分に余裕が持てない。
お金に余裕ができると、自分にも余裕ができて、周りを見渡せる余裕もできる、といった具合に。
なんとなくだが、「お金」はその人の背景や人となりをつくるうえで、実は重要な要素だったのではないかと。
私は、お金が「好き」か「嫌い」かと聞かれたら、まよわず「好き」と答える。
もちろん「お金」は欲しいものを手に入れることができる。
でも手に入るのは「物」だけじゃない。
「知識」、「経験」、「教訓」。
お金では直接手に入らないものも、私にもたらしてくれると思えるからだ。
そして、それらは、私を一回りも二回りも成長させてくれる。
今の私はどちらかといえば、お金には執着があると思う。
お金を貯める方法や増やす方法も勉強している。
しかし、私の思い描く未来にあるのは、裕福な生活ではない。
私が、本当に手に入れたいものは、お金では買えない「寛大な心」なのだろう。
私は「お金」を「知識」や「経験」、「教訓」に変えていきたい。
自分が夢見る自分に出会い、そして今度は誰かのために尽くせる自分になるために。