私は実家のリビングで祖母とたわいもない話をしながら、生理痛がマシになればいいと鎮痛剤を胃薬と一緒に口にした。
すると祖母が、
「今は薬があっていいねえ。昔は生理痛が酷くてリビングを転がっては、父親に『女なんだからそれくらい我慢しろ』って言われたもんだよ」
と、テレビのほうに目を向けながら何の気なしに言った。

知っているつもりでいたが、生理という避けられないものに苦しみ、そして苦しむことも許されない祖母のような女性が山ほどいた。
その事実を祖母の口から聞いた事で改めて痛感し、悲しくなった。

私は「へえ」とから返事をしながら「ああ、またこの気持ちになった」と思った。

祖母の話の後、今現在の恵まれた環境でも不満を抱く自分に嫌気が

就活中、面接官や役員に女性が1人もいなかった時。
名字を変えたくないから結婚しない私のことを高飛車だと言われた時。
幸せそうな女性だけを狙って攻撃する人間が現れた時。
「女のくせにわきまえていない」とでも言いたげなことをされた時、なんだか踏みにじられた気分でちょっと泣きそうになる。
今まで幾度となく感じてきたものだ。
悔しくて情けなくて、自分をすごく小さく弱く感じる、この嫌な気持ちだ。

1999年生まれの私は、生理が来ても家族や友人にナプキンや鎮痛剤がないか気軽に聞いていたし、みんなPMS(月経前症候群)の存在を当然のように知っていた。
そして同世代の男性はこれらに理解があった。完全な理解が難しくても責めるようなことは一切なかった。

私は2022年のこの状況でも、もっと世の中は生理について配慮すべきだし、私たち女性はその点で擁護されるべきだと思っていた。
しかし祖母のショッキングな話を聞いた後は、現代の恵まれた状況下でもわきまえずに社会に文句を言っている自分が嫌になった。

これまでの「わきまえなかった女たち」は、現代の女の子を救っていた

しかし、あるニュースがその自己嫌悪を一蹴した。
コロナ禍で生理の貧困が取り上げられ、生理用品の無料配布などの対応が始まったというニュースだ。
「生理の貧困が社会問題になれた事」がとてもすごい事だと思った。
「生理に理解がないのはおかしい」とその時代の価値観をわきまえずに発言した人がいたからこそ、「生理について考えよう。生理で困っている人を助けよう」というムーブメントが起きたのだ。

この2022年までの“わきまえなかった女たち”が現代の女の子を救っている。
生理の貧困がこれからどのようにして対策されるのかはわからない。
しかし、それが社会問題になれたということだけでも十分、日本中の女の子が安心したことだろう。
少なくとも私はその事実にホッとした。

堂々と伝える。私の「NO」が次の世代の女の子の希望になるなら

生理の貧困を社会問題にして戦う人がいる事を知った時。
日本でフェミニズムを掲げて活動する人を知った時。
わきまえなくていいと歌う曲を聞いた時。
NOと言えなかった苦悩を語る本を読んだ時。
女性ヒーローが活躍する映画を見た時。

自分は1人じゃないし居場所があるのだと安心した。
わきまえない私は間違っていないのだと、鎧を着ることができた。

今この時代に私が感じる「踏みにじられた気分」は私を苦しめる。
けれど、私の「NO」が次の世代の女の子の希望になるならば、私はこの気持ちを無駄にしたくないと考えるようになった。

だから今私は堂々と、わきまえずにNOと言う。
男性に、時には女性にも白い目で見られる。
でもこれまでの女性がそうしたように諦めない。
日本の何処かにいる女の子が泣かなくても済むように。
泣いちゃいそうな女の子が居場所を見つけられるように。