これは「過ぎたことにこだわるのはもうやめたの」などと利口そうな言葉で取り繕っても、「大丈夫、私は自分の人生をやっていくだけ」と何度言い聞かせても、やっぱり夜は眠れない私の近況である。

一度だけ恋人に言った「寂しい」の一言。彼からの返信に決意した別れ

泣いても人生は好転しないし、私はひとりで自分の人生をやっていくしかないと、つらくなる度に思う。今日だって明日だって、大丈夫じゃなくても大丈夫な顔をして、働いて勉強して生きていかないといけない。

でも、本当に全然なんにも大丈夫ではなくなったとき、一度だけ恋人に「寂しい」と言ったことがある。精一杯の「助けて」だった。
遠距離で、仕事も学業も忙しい彼はいつも時間がなくて疲れているし、会えないこともわかっているから、「会いたい」とか「助けて」とは言えなくて「寂しい」と言った。
我ながら面倒な女だと言いながら思った。でも、彼なら私を救ってくれると、根拠もなしに思ったのだ。ただすがりたかった。大丈夫だと思わせてほしかった。

彼からの返信で、私は別れを決意した。
「僕も寂しいよ」「忙しくて仕事以外に時間とれなくて、ごめんね」
何も悪くない返答である。でも、私の中で、何かが終わった。

彼は優しいけど、その幸せは一瞬のまやかしで。私も同じだった

時間を割いてくれないことが不満なわけでも、本当に仕事が理由なのか、ただ私と関わりたくない言い訳なのではないかと疑ったわけでもない。
ただ、この人に救われようと思った自分が間違いだったと悟ったのだ。

彼は優しいけれど、救ってはくれない。暇なときに猫カフェで店の猫を愛でるような、無責任な優しさしかくれない。彼がくれる幸せは、ほんの一瞬のまやかしである。そのまやかしで、私は「大丈夫」になれないと気付いた。
私は彼といても、「大丈夫になったつもり」にしかなれない。そして、きっと私もそうだ。彼を本当に大丈夫にすることはできない。

今まで「自分で勝手に幸せになるから、ただあなたの隣に置いてほしい」と自立しているつもりで思ってきたけれど、それは裏を返すと「(私もあなたを幸せにしてあげるつもりはないから)あなたも勝手に幸せになってね」ということでもあったのだろう。相手を幸せにする欲も姿勢も私には欠けていて、だから私(たち)は上手くいかなかったのだ、きっと。

頼っても依存はできないから。自分で幸せを掴み獲るしかない

つらいとき、大丈夫になりたいとき、自分を救えるのは自分だけだ。周囲の人に頼ることも大切だけれど、それに依存してはいけない。自分でなんとかやっていくしかない。期待したってかぼちゃはかぼちゃだし、王子様が迎えに来なくても、私は自分で幸せを掴み獲る。

これからも背伸びして手を伸ばしたり、それに疲れて足元を確認したりを繰り返しながら、私は私の人生をやっていくのだなと思う。やっていくしかない。
完全に口癖になっていて我ながらしつこいけれど、やっていくしかないのだ。
他に言いようがない。一歩一歩進む。やっていくしかないし、実際私はそうしたいのだ、多分。