2017年。18歳。高校3年生。
将来への不安でごちゃごちゃになっていた私。
そんな私を気にかけてくれる人がいた。

卒業まで数ヶ月。真っ白いスケッチブックが息苦しかった

年の瀬に差し掛かる頃。
夏に第一志望の美術系の大学に合格し、ほっとしたのも束の間。
大学から出された入学前課題が、私の前に立ちはだかっていた。

スケッチブック3冊分描く。

この課題が出されたのは秋頃。
絵を描くのは物心ついた頃から好きだが、大学の教授陣にチェックされるというかつてないプレッシャーで、全くと言っていいほど進んでいなかった。
しかも描きたいアイディアはあるというのに、上手く描けるかどうか不安で、着手する勇気がなかなか出なかったのだ。
スケッチブックの真っ白いページは無限に広がって見えて、なんだか息苦しく感じてくる。
美術室でスケッチブックと向き合うだけの時間が過ぎていく。
そのとき、
「課題、進んだ?」
声をかけてきたのは美術のM先生だった。

非常勤講師として学校やカルチャースクールなどで教えつつ、画家としても活動している先生。
声が少し高くて、なんというかユーモアがあってチャーミングな人。
美術に関しては、ときに厳しく、ときに優しく。
一人一人のやりたいこととじっくり向き合って指導をしてくれる先生だ。
その姿勢は指導以外にも。授業、友人関係、将来のこと……。何かとくよくよしていた私を気にかけてくれて、よく相談に乗ってくれていた。
先生と話せるから、授業後に美術室に残っているのが好きだった。
美術の話も、日常の話も、自分の言葉で語ってくれる先生が好きだった。
とても信頼していた。

両手で輪っかをつくりながら、先生が話してくれたこと

あの日も、真っ白いだけのスケッチブックのページを見つめながら、先生の前でポロリと言葉をこぼした気がする。

もう大学生になるっていうのに、大人になるっていうのに、なんかこのままじゃダメだって思うんです。

するとM先生は「まーた、うじうじ悩んで」なんて言って笑い、続けてこう言ったのだ。
「だってほら、人生ってさ、パンツのゴムと一緒だよ」

え、人生がパンツ?どういうことですか。
思わず聞き返す私。

「こういうこと」
両手で輪っかをつくる先生。
あ、なるほど。輪の一周が一生を表すのか。
「んで、昔と比べて人間の寿命って伸びたでしょ。だからゴムも伸びたのよ」

伸びた?

輪っかをつくっていた両手を広げる先生。
輪が拡張され、大きくなった。
「そういうイメージってことね。寿命という全体が大きくなった分、子どもの期間も伸びたってこと。だから本来は、急いで大人にならなくていいんだよ」

そっか、逆か。焦らなくてもいいのか。
先生の言葉たちがすーっと身体に染み込み、心がじんわりとあたたかく、軽くなったような気がした。

心が軽くなって、気付けばスケッチブックは4冊になっていた

その日はスケッチブックと向き合うのはやめて、美術室を後にした。

楽しんで描けるときにはめいっぱい描く。
乗り気じゃないときは5分だけ描いて、波に乗れたら続ける。でもダメだと思ったらすぐやめる。

こういったルールを設けることにしたら、思いの外いいペースで進んでいった。
最終的にスケッチブック3冊では収まり切らず、4冊を提出するまでに。
はじめの頃感じていた不安はすべて、大きな思い過ごしだったんだと気づいた。
「課題だけれど、ひとつひとつ楽しんで描いているのが伝わるね」
そう大学教授にお褒めの言葉も頂けた。

もう子どもじゃない。でも、まだ大人でもない「今」だから

2022年。22歳。大学4年生。
成人して2年が経つ。
今の自分が大人かどうか問われたら、答えは「いいえ」となるだろう。
成人はしたが、まだ大人じゃない。
成人年齢は20歳から18歳に引き下げられるというが、その時点で一律として大人になったと言えるのか、大人にならなければいけないのか、密かに疑問に思っている。

成人しても、のんびり大人になればいい。
だってゴムの輪っかは伸びたのだから。

20代の今は子どもでも大人でもない「成人」の期間なんだと思う。
知識も能力も知恵も経験も、まだまだ未熟だ。もっともっと身につけたい。
でも子どもだった頃に感じた喜びも、葛藤も、いつまでも忘れないでいたい。

いつか、余裕があって、ユーモアかつあたたかく、誰かを元気付けられるM先生のような「大人」になるために。