私は職場で上司に結“ちゃん”と呼ばれている。
同じ苗字が沢山いる職場だから、名前で呼ばれるのは仕方ないと分かっている。
だけど、同僚はみんな結“さん”と呼んでくれるのに、いつまで経っても上司は私をちゃん付けする。
それを聞く度私はゾッとするのだ。
何故か分からない。
「結ちゃん」なんて小さい頃沢山呼ばれた。
そして今だってそう呼んでくれる友達もいる。
だけど、何故だろう。
上司にそう呼ばれると嫌悪感を覚える。
父親ほど年の離れた男性に呼ばれるからだろうか。
女性だったら何も思わないのだろうか。
女性の上司がいないから分からない。
後輩は最初から苗字で“さん”付け。嫌悪感の正体に気づいた
その嫌悪感が強くなったのは職場で先輩になってからだ。
後輩が入ってきて私は先輩になった。
後輩は最初から苗字で“さん”付け。
同じ苗字の人がいないから、それが普通なのかもしれない。
だけど、私は驚いたのだ。
私だけいつまで経っても“ちゃん”付けだったことに。
上司に呼ばれる度嫌な思いをした。
ある日気づいた。この嫌悪感の正体に。
友達が言ってくれる結“ちゃん”には親愛が込められている。
だけど、職場での上司からの“ちゃん”付けは、「まだ貴方は半人前」「まだ大人として認められない」「お嬢さん」という意味合いが込められているように感じる。
大人として対等に扱って貰えていない気がする。
気にしすぎなのかもしれない。
だから言えない。
今日も呼ばれたらニコッと返事をする。
だけどやっぱり嫌なものは嫌だ。
20代になってから“ちゃん”付けされるのはとても違和感がある。
強くないとこっちが我慢しないといけない社会なんて、おかしくない?
男友達に相談した。
その時彼はタバコを吸いながら、「結はおじさん受けしそうだもんなぁ」なんて笑ったのだ。
それって、私のこと完全に下に見てるよね。
まあ部下だからそうなんだけど。
だけど、大人として、社会人として、最低限のマナーってあるんじゃないの?
大人として認められていない気がして、悔しさが自分をさいなんだ。
私はおじさん受けなんて求めてない。普通に“大人”として働きたいだけだ。
そんなこと思ってたって、私は明日もきっと“ちゃん”付けで呼ばれたら、ニコニコ返事をするんだろう。
こんな小さなことで職場に荒波を立てなくない。
私が少し我慢すればいいんだから。
……だけど私が強かったら、わきまえない女だったら、異議をとなえられたんだろうか。
きっと後輩だったら言われない。だってあの子は気が強い子だから。
強くなりたい。
わきまえない女になっても、ブレない強さ。
だけど、おかしくない?
強くないと、わきまえない女にならないと、我慢しないといけない社会なんて。
なんでこっちが変わらないといけないの?
必死に社会人やろうと努力してるんだから、社会だってそろそろ変わる努力しなよ。
……なんてそんなこと死んでも言えない。
今日も私は自嘲的な笑みをおさえて、ニコニコ若いお嬢さんを演じるんだ。