私は怒られることが苦手。たくさん自分を責めてしまう。切り替えられず、周りの視線も気にしてしまう。
しかし、彼女は怒られても屈せず、何なら上司に言い返す。その厳しい上司に恋までしてしまう。
驚いた。私とは人間性が真逆だった。

初めてハマった長編小説「図書館戦争」が、友人と再会するきっかけに

この本は有川浩さんの「図書館戦争」という本だ。
図書館戦争シリーズは別冊を含めて全6巻あり、「本」がキーパーソンとなり物語が進んでいく。規制の対象となる本はメディア良化隊によって押収されていく。それを阻止するため、本の自由を守るため、「図書隊」として励む郁という女性とその図書隊の鬼教官で男性の堂上、その周りの親友の同僚やライバルなどが様々なストーリーを繰り広げていく。そしてその中で郁と堂上の恋も描かれていくという本だ。

「図書館戦争」は私にとって初めてハマった長編小説だった。
きっかけは映画をみたこと。映画としても大切な友人と見た思い入れのあるものになっている。また、その親友と再び廻り合わせてくれた本でもある。それは「別冊図書館戦争」をその親友に貸したのがきっかけだった。
大学卒業後、別々の地で就職となり離れ離れになってしまった。当時、県が違う私たちは簡単に会えるはずもなく自分のことで必死だった。しばらくして、親友が「本も返したいし会おう」と連絡をくれた。
お互い余裕がなく、すぐには会えなかった。しかしそれでも「会う」ということが流れなかったのはこの本のおかげだろう。

私は私。彼女のようになれなくても、本の世界が一筋の光を差した

私にとって郁の行動はありえない。しかし私にはない考えを持っている彼女は憧れでもある。鬼教官に屈することなく向かっていくところはもちろん、恋にも全力、同僚の親友も全力で大切に、ライバルにまでしっかり向き合う。郁の体力は計り知れない。それに伴い周囲の人物も郁に一心に向き合っている。

数度だけ郁のような女性になりたい、と思ったことがある。しかし彼女のように上司に屈することなく接したこともなければ、彼女のように壮大な恋愛もしたことがない。私はつくづく弱い人間だなと感じたと同時に、私は郁にはなれないと実感した。
私は私だ。弱いなりに生きていくしかない。

怒られることが嫌。それを言うと「怒られるうちが華」「怒る方も体力がいる」「注意するとすぐ落ちこむ子、めんどうくさい」などの考えが多いだろう。
それは、事実だろう。しかし、どうもがいてもそのように捉えることが出来ない。気持ちにひびが入ってしまう。常々もっと上手に生きていきたいと思っている。
でも私は知っている。上司に強く本音で関われる世界線があることを。それを考えるとなぜか一筋だけ光が差すような気分になれる。

本と友人は浮き輪のような存在。浮き輪がないと深海に沈んでしまう

私には本を通して仲がさらに深まった親友がいる。このコロナ禍、なかなか会うことは出来ないけれど、lineや電話をして連絡を取り合っている。そして脆い自分の話を親身になって聞いてくれる。
ほんのかすかな一筋の光と私の大切な友人、これらが今の私を浮き輪のように支えてくれている。浮き輪がないと深海に沈んでしまう。わたしにとってとても大事なものだ。

いつかギリギリで浮いているだけではなくその浮き輪を外し、砂浜より先の色々な世界に行ける日は来るのであろうか。冷たい海に入ってしまったとき浮き輪なしでもいろんな所へ彷徨うことは出来るのであろうか。
この先、何があるかわからない。浮き輪を抱き、彷徨う日々だ。