明確な「ふった」「ふられた」の言葉は、私たちの間にはなかった。そもそも、私たちという言葉を使うことに違和感を感じるほど、私たちは「ペア」として見られたことも、扱われたこともなかった。けれど、お互いしか感じられない、淡い、微々たるつながりが、確かにあった。

最初は勘違いだと思った。けれど毎日、どこかしらで私の隣にいた

本当にありきたりでつまらない話だが、私が好きになったのは大学のサークルの先輩である。わかりづらいので、その人をA先輩と呼ぼう。彼は、サークルの中で私と親しかったB先輩の、恋人だった。

彼を好きになる前、仲の良かったB先輩と私はよく話をした。その中にはもちろん、A先輩とB先輩、二人がどんな付き合いをしているかの話もよく登場した。遊園地に行ったとか、手の込んだ料理を一緒に作った、とか。私はそれを単純に、楽しそうでいいなと思って聞いていた。人の恋愛に興味がなかったし、恋愛関係のゴタゴタは面倒で嫌いだった。何より、自分が恋愛の土俵に上がっていい人間だと思っていなかった。そりゃ、誰かに好かれてみたいという気持ちはあったが、自分から誰かを好きになることはしない。そう思っていた。

高校生の時、顔がひたすら好みだったクラスメイトに、罰ゲームで嘘の告白をされて以来(本当にこういうのがあるんだ、と後で思った)、「私は分をわきまえないといけないんだな」と無意識に刻まれて、そう思わされていた。

私が所属していたのは、「人前で表現する」サークルで、密なやり取りが必要だった。A先輩も、彼の恋人であるB先輩も、私も休みの間は朝から晩まで毎日一緒にいた。皆とても仲が良かったし、恋愛の話もよくした。A先輩が、恋愛観を得意気に話す顔を、今も覚えている。

「俺はね、自分から好きって言わない。相手の隣とかにいつもさりげなく居て、相手に意識させて、相手から好きって言わせる」

ずるい男だと思いませんか?そういう話をして、恋人もいるのに、私の隣にしれっと立っていることが、増えた。最初は勘違いだと思った。けれど毎日、どこかしらで私の隣にいた。勘違いではなかったと思う。視線に温度があった。
何がきっかけだったか、よく覚えている。

いつも「分をわきまえていた」私が、彼と彼女の関係に一歩踏み込んだ

きっかけとなったのは、彼の恋人であるB先輩のことだった。彼女が、スケジュールの厳しい活動の中で、気持ちが不安定になり、活動日に来られなかったことがあり、私は彼女に電話をかけたり、共に過ごし気持ちを聞くことで、なんとか活動を続けられるようにしたかった。けれど暖簾に腕押しというか、相手の心に何も届いてないこともわかっていた。
彼女に何度電話をかけても繋がらなかった日、うんざりして、少し嫌味のつもりで、
「私じゃなくて、A先輩だったら話聞いてくれますかね?」と彼に言ったのだ。
その、次の日からだった。

それは普段なら言わない、意地悪な気持ちだった。いつも「分をわきまえていた」私が、正直な気持ちを口にして、彼と彼女の関係に一歩踏み込んだ。それが、どうやら彼の心に響いたらしい。

先輩は他のメンバーの支えもあって来るようになり、活動は持ち直した。そして無事に「人前で表現」し終わった。
私は、それからしばらくしてサークルを離れた。私も、気持ちが不安定になってしまったのだ。自分の感情のままならなさ、元気になりたいのに、心配してくれる人の望み通りに元気になれない悲しさを知った。あの時の「私の話を聞いて、元気になって欲しい」という彼女への思いは、自分勝手だったんだなあと、知った。

今わかった。あの時、少しだけ、「私たち」の関係は始まっていた

正直な気持ちを伝えることは、怖い。「これを言ったら、ダメだろうな」「嫌われるかも」そんな言葉が頭をよぎる。そして、伝えても相手に届くかどうかわからない。それでも、本当の正直な気持ちは胸の中に仕舞っても、鎮まったように見えても、溢れてくる。知らない間に、どうしようもなく。

恋愛に限らず、親密な関係は正直な気持ちを伝えて初めて始まるのだと気づいた。気持ちを伝えるのが怖くても、持たない方がいい気持ちでも、伝えてしまったら、始まる。
「分をわきまえる」とか恋愛には、本当は、ない。それに気づいて初めて、自分も恋愛の土俵に立っていいというか、そもそも、そんな土俵とかルールを誰かに決められた恋愛なんか、恋にすらならないと思った。自分の正直な気持ちを、ポロっと言ってしまっただけなのに、好意を持ってもらえたことが嬉しかった。私も彼が好きだった。表面上は何もなくとも、あの時、少しだけ、「私たち」の関係は始まっていた。それがやっと、今わかった。

今は素直に、軽やかに正直な気持ちを伝えてくれる人が好きだ

彼とは、会う機会もほとんどなくなって、B先輩とまだ付き合っているとも聞いたが、詳しいことは知らない。

私は彼のことが好きだった。好きになってはいけないともわかっていた。彼は発言通り「自分から好きって言わな」かったし、告白とかうっかりのキス、とかそんなことは何もなかった。何もなかったけど、確かに好きだった。思い返せば今も胸が締め付けられる。

でも、あれから時間が経って、私は少し変わった。自分のことを知った。私は素直に、軽やかに正直な気持ちを伝えてくれる人が好きだ。どんな気持ちでも受け止めるよって安心させてくれる、私を素直にさせてくれる人が今は好きだ。

だから、この文章で私は好きだったあの人を振ります。好きでした。さようなら。バイバイ!