私は夢がない子供だった。
いわゆる典型的な「いい子」ではないものの、親に公立高校に行って欲しいと言われればそうなるように努力したし、当時好景気だった化粧品メーカーへの就職をほのめかされ、親の意思が気付けば自分の意思になっていた。

ぼんやりとした意思から夢へと変わった化粧品メーカーの就職も…

中学生の多感な思春期に、クラスの男子に見た目のコンプレックスを指摘されいじられてから、自分に対しての自信がなくなった。そのなくなった自信とその穴を埋めるかのように、勉強に励んだ。
そうしたコンプレックスを埋めるために勉強に励む毎日の中で、気付けば「一人で生きていける経済力がある人間になりたい」と思うようになった。
その目的を果たせるのが化粧品メーカーであると盲目的に信じ、化粧品メーカーに就職することがぼんやりとした意思から私の夢になった。

大学生になってからは化粧を勉強し、お世辞にも人から褒められるような容姿になった。化粧品販売のアルバイトや留学をし、語学力を上げることで化粧品メーカーに就職できると信じていた。

しかし、2020年、未曾有のコロナウイルス流行禍での化粧品メーカーの就職試験結果は全てES落ち。
何が駄目だったんだろう。容姿?文章力?コミュニケーション力?
誰々が名を連ねた有名企業に内定を貰った、そんな噂を聞く度に心が荒んでいった。

意思が強いと言ってしまえば長所にも聞こえるが、頑固な私の性格は当初自分の希望でなかった金融機関への内定を素直に認められなかった。

理想と現実のギャップは簡単に埋まらず、涙が止まらなくなった朝

余計なプライドを抱えたまま2021年4月、社会人1年目としての生活がスタートした。
慣れない職場に慣れない人間関係。
緊張の連続の中で、いまだにちっぽけなプライドを捨てきれなかった私は、同期の子や周りに対して知らず知らずのうちにバリアを張ってしまうようになっていた。
「仕事ができるって思われたい」そう思えば思うほど、ささいなミスが続き、萎縮するようになった。
自分の理想像とのギャップを埋めようとすればするほど、理想からは遠のいていった。
そして就職してから半年ほど経ったある日、職場で朝、涙が止まらなくなってしまった。
特にきっかけがあった訳ではないのに。
泣き止んでも泣き止んでも涙は止まらず、その日はただただ涙を流しながら仕事をしていた。

不器用なところも私で、いいところもある。人と比べないことの大切さ

そこから職場の人や周りとの関わりを得て気づいたことがある。
当たり前のことだけど、心身の安定のために1番大事なこと。
それは、「人と比べないこと」。
私はいつも皆が知っている有名企業に就職した友人や、仕事ができる同期と比べてしまっていた。
化粧品メーカーに就職出来なかったこと。自分がこんなにも仕事ができなかったことに気づいたこと。

あれこれ考えてしまう不器用な性格だけど、これも私なんだ。私にもいいところがあるんだ。綺麗事に聞こえるかもしれないけど、そう気づかせてくれた職場の先輩、同期の存在。
今、私はようやく化粧品メーカー就職への呪縛から逃れられようとしている。
それは見えないご縁があったからこそ、今私は金融機関の職場にいると心から認められている。
そして、たまには泣いたりへこんだりもしながら、そんな自分も大丈夫、と自分で自分にOKを出せる人でありたいと思う。
世界でたった一人の、大切な自分のために。