私の執筆は、エッセイのタイトルがどうもわからない時は、他の皆さんのエッセイを読み、「こういう方向の作品を書けばいいのか」となる所から始まる。
今回ももれなく、「『わきまえない女』って……なんだ?」だった。
何を書こうの前に、グーグル先生にわきまえない女について聞く所から始まった。ちなみに、さすがの私でも中身は知っていたので「ああ、この騒動の時か……」となった。
「女性なら気遣いできないと」という父に感じる残念さ
私にとって、価値観の違いからいつもピキピキしているのは唯一つしかない。
私の父は口癖のように「女性なら気遣いはできないといけない」と言う。
席を立ったあとの忘れ物確認や、飲み物を注ぎ足してあげる事……エトセトラ。
私はそれを話半分に聞きながら「どうして主語を人間にしないんだこいつは」と思い、「だから、気遣いの出来る男性はモテるんだろうな……」と思うのであった。
擁護するが、古い価値観の典型的なクソ男ではないとだけ言っておく。どちらかといえば、柔軟な頭のタイプだ。
だけど、この話になるとこいつも昔の人間なんだな……と残念に思うしかないのだ。
「女性」のところを、「人間」または「人」にすればいいだけの話なのであるが、それはどうも違うらしい。
人として、周りをよく見てさりげなくこうしようか?ああしようか?と手を差し伸べられる人になれ。
なのになぜ、この父親は女性という主語にするんだろうな……と思いながら、出来る限りで私は実践する。
それは、女性ではなく人間として出来ていた方が良いことだからだ。
女性として良くなりなさいと父が言うほどに、私は人間として父に見切りをつけている。
自我が強いだけかも知れないが、私は「わきまえない女」寄りの人間
さて、残念ながら私に「女性」としてこうであって欲しいと言うのは父だけで、上記以外は、まぁ、許容範囲だろ……と思っているので今回は省く。
つまるところ、私は「わきまえない女」寄りの人間だと思う(皆のエッセイを見てる限り)。ただただ、自我が強いだけかも知れないが。
メイクはしない、面倒だから。
成人式が2度目のメイクで、1度目は前撮りの時だった。
3度目は、就活……多分、卒業までしてないだろう。面倒だし。
ファッションにも興味がない。
かわいい服やお洒落に興味がないわけではない、見るのは好きだ。
着るのは高いし、面倒だから要らない。
機能性が全てなのである。
子供に対して興味がない。
子供に対しては9割無感情なので、子供を産みたいと思ったことがない。
結婚願望がないし、恋愛感情が分からない。
こんな一人娘だし、父の「女の子だし、もうちょっとオシャレして欲しいな……」は妥当な心配事だとあまり気にならなかったりする。
私は、同性の友達も少ないので異性の友達なんぞいた事がない。
なので、皆さんのような「女はこうであれ」といわれた経験が少ないのだろうな……と思う。
他者に特別な思いを持てない私は、私であることを第一にする
他者に対して、友情の先であれ恋愛の先であれ、はたまた別の先の感情であれ、「特別な思い」を持てない私に対して、理解してるのか無自覚なのか周りはあまり踏み込んだ言動はしてこない。そうさせることを許さない空気でも私が出してるのかも知れないが。
私は、私であることを第一としており、その結果として『わきまえない女』なのかもしれないな!と書きながら思うのだった。