私の母は感情のコントロールが苦手な人です。会社の人と言い争いをしては家で大量のお酒を飲み、大絶叫するまでがルーティン。毎日「今日の母は機嫌が悪くないだろうか?」と玄関の扉の前で聞き耳を立て、声色を確認できるまで中に入れませんでした。
それが子どもの頃の日常で、誰にも相談せず、ただ耐えていました。

就職試験まで数日、また大絶叫する母に抑えてきた感情がついに溢れた

私がこの家を出るときは母と縁を切るときだと決心を固めながら過ごしていたけれど、その前に限界がきました。
数年前、私の就職試験が数日後に迫っていた夜、また大絶叫が始まりました。勉強の手を止め、渋々母の部屋へ様子を見に行き、仰向けにひっくり返って叫んでいる母を起こして、背中をさすってなだめました。
いつものように。どのくらい時間がかかったか忘れましたが、やりたい放題やって気が済んだ母は嘘みたいにケロッと寝ました。
私は一睡もできませんでした。抑えてきた感情がとうとう溢れ出してしまったのです。

グツグツ煮立った怒りと絶望感が身体の中心で大噴火して、末端までブワーッと広がって行く感覚。
なんであんたのせいで私が眠れなくなるんだ。今回は何があったのか知らないけど、試験前くらい私に気を遣ってくれてもいいんじゃないの。叫ぶ騒ぐ以外のストレス解消法なんていくらでもあるでしょうが。私が職に就けなかったらどうしてくれる。そんなに私の自立を邪魔したいのか。いつも母は自分勝手だ。今晩やるはずだった面接対策ができなかった。これじゃあ試験に間に合わない。実家から出られなくなる。どうしよう……。

パニックになりながらも、朝まで必死に解決策を考えました。

母の最大の弱点を突いてやろうと思い、祖母に洗いざらい告白

どうせなら母の最大の弱点を突いてやろうと思い、祖母に相談することにしました。しっかり者の祖母に対して母は劣等感をもっているのです。
祖母を頼ることは母を裏切ることと同じ意味でした。恐ろしいけれど、早急に自分の心を立て直す努力をしなければ就職試験に間に合いません。どの道、母とは絶縁する予定なのだからと開き直って、祖母の家を訪ね、洗いざらい話してしまいました。

仕事が上手くいかないとお酒を飲んでモラハラだパワハラだと大騒ぎすること。近所の人が目を合わせてくれないほど叫び声が凄まじいこと。それを何十年も続けていること。
母と祖母の縁まで切れてしまったらどうしよう?と怖かったけど、溢れたものをとにかく外に吐き出しました。私が怒り狂って暴露する内容を、祖母は驚いたり悲しそうな表情をしながら、ひたすら頷いて聞いてくれました。

私が話し疲れた頃、祖母はガサゴソと外出の支度をし始めました。
え、このタイミングで?こんな泣いて腫れた顔で外に出たくないよ、と思いながらも、1人残されるのも辛かったので渋々着いて行きました。
祖母はチェーン店のカフェに入り、リュックから鉛筆と雑紙をとり出して「こないだラジオで聞いた健康に良い食材を思い出して書くの。思い出す練習をしないとすぐボケちゃう。これが私のお勉強」とにっこり。ボケなど微塵も感じさせないとんでもないスピードで書き込み始めました。
最初はその様子をただ眺めていましたが、私だけ何もしないのも段々居心地が悪くなってきたので、祖母から鉛筆と紙を分けてもらいました。そこでやっと面接対策に手をつけたのでした。

あの日ただ話を聞き、隣にいて助けてくれたこと、本当にありがとう 

その後なんとか就職試験に合格し、実家を離れ念願の一人暮らしを始めました。
母は昨年定年退職し、ストレスが減ったためか穏やかになりました。私のほうも母と離れたことで気持ちの余裕ができ、絶縁しなくてもなんとかやっていけそうだと見通しが立ってきました。
子どもの頃のことは一生許しませんが、程良い距離を保って付き合い続けていこうと思っています。自分のために。

祖母は現在介護施設で暮らしています。祖母は私の告げ口を母に漏らさず、母を叱ることもなく、中立の立場でいてくれています。
あのときただ話を聞いてくれたこと。詮索せず否定もせず事実を受け止めてくれたこと。あたかも自分の用事をしているんですよという顔で、就職試験の準備を促してくれたこと。ただ隣にいてくれたこと。
おばあちゃん、助けてくれて本当にありがとう。