卒業式が終わった。
校庭からは、写真を撮り合ったり、肩を組んではしゃぐ卒業生達の声が聴こえてくる。
人気のない校舎、冷たいリノリウムを蹴って先生の姿を探した。天窓からは、この世の終わりみたいに真っ赤な夕日が降り注いで、ビシャビシャと廊下を濡らしていた。

突き当たりを曲がる先生の背中を見つけた。
「先生」
先生は角から顔を覗かせ、私の姿を認めると「ああ」と呟いて立ち止まった。
私の3年間は、「先生がいた3年間」だった。
ひたすら美術に打ち込む痛々しい学校生活の中で、先生だけが、圧倒的に特別だった。

何の変哲もない、ただの教師。そんな「普通」の先生が眩しくて…

普通の大学を出て、普通に就職した先生は、その他大勢のサラリーマンと同じように「仕事は面倒くさい」と漏らし、気怠い雰囲気を隠そうともせず、いつもぼんやりした顔で生徒の話を聞いていた。
授業では教科書をなぞりつつ、稀に自作のプリントを配る、ありふれた授業スタイルで、休日は個人的な趣味を楽しみ、SNSにアップする。先生は、この世に何十万人といる教師と同じ、何の変哲もない、ただの「先生」だった。

それでも、先生は特別だった。
先生は、私の人生で初めて出会った「普通の人」だった。「普通」の面白さを心底堪能している人だった。その楽しさを、何ら特別でもなさそうに見せてくれた。
毎朝、駅の方向へ軍隊のように列をなして進むサラリーマン達の「普通の人生」が、どれだけかけがえのない物なのかを教えてくれた。

いつの間にか、先生の「普通」は私の「特別」に変わっていた。
その眩しさに魅入られ、憧れ、渇望し、息が切れ、吐き気を催し、世界の色が反転して、遂に全てが決壊した3年生の冬、私は先生にメールを送った。愛の告白をかき消すほどに謝罪を重ねた、見るに堪えない文章だった。

抑えていた感情が溢れ出す。3年間、どんな瞬間にも先生がいたから

「去年、変なメール送ってすみませんでした」
先生は一瞬困ったような、でも直ぐにはにかんだような笑顔で、
「嬉しかったよ」
と答えた。
この期に及んで、最悪の愚行に走った生徒に対して、先生はまだ「普通の教師」を演じてくださる。
自分のあまりの醜さに涙が溢れてきた。涙を落とすまいと奥歯を噛み締めて、それでも何とか出てきた言葉は、
「好きです」
だった。先生は、
「ありがとう」
とだけ仰った。

笑っていたかもしれないし、見下すような冷たい顔だったかもしれない。全てを見透かしているかのように思えた。先生は全知全能だった。私は先生のワイシャツのボタンだけを凝視していた。
顔を見れないまま、お辞儀だけして踵を返す。
3年間、全ての瞬間に先生がいた。先生のいる世界だから、どうにか息を繋げられた。先生と話している間だけは、もしかしたら自分も「普通」なんじゃないかと、錯覚することだって出来た。

今でも探してしまう。私を「普通」まですくいあげてくれる、あの姿を

20歳を越えた今でも、雑踏の中で先生の姿を探している。懐かしい後ろ姿や気怠げな笑い声に、何度も何度も振り返っている。
誰かと話している時も、独りでうずくまる夜も、息が出来なくなる瞬間には、どうしようもなく先生のことを思い出す。
夕日を浴びて、真っ赤に濡れながら私を見つめたあの日の先生に、いつだって、切実に祈っている。懇願している。また同じように、「普通」まで掬いあげてくれる、その瞬間を。

きっと死ぬまで、あなたは私の、たったひとりの神様です。