「好きになっちゃったんだよね」と言われた相手は、既婚者子持ちの40代の上司だった。
私は言葉を飲み込むのに時間がかかった。周りには誰もいない。
「それは、どういう意味で……」と声をしぼりだすと、「女性として」と答えられた。やんわりと断ると、「おじさんじゃだめか~」と言い、あとからこう付け加え、手を握られた。
「お互い大人なんだし、そういう関係でも」

尊敬する上司の裏の顔。「いい上司」のエスカレートするセクハラ発言

突然のショックに私の右手は震えた。でも、振りほどく勇気もなくて、結局私はにっこり笑って腕をぶんぶん振り、おふざけの延長線上のようにして手を離した。
私が断ったのは、「おじさん」だからではない。既婚者で、子どももいて、そんな状況で軽々しく職場の若い女性に「好き」とか言える神経がおかしいからだ。それに、「そういう関係」って、私を、そして奥さんを、馬鹿にしているにもほどがある。自分がスリルと安定、どちらも味わえるだけじゃん。
尊敬していた上司だったので、とても傷ついた。絶対にどう考えても相手が悪くて、それなのに、こんなに傷ついたときでさえ愛想よくふるまった自分にもショックだった。
その上司は、それから数か月の間でどんどんエスカレートし、私にセクハラ発言を繰り返した。周りは誰もそのことに気づかなかった。皆の前では、「いい上司」のままだった。私はひたすら逃げ続けた。

「かわいい女」が得をする社会。私は「かわいくない女」にはなれない

私は背が低くて童顔で、その見た目から、よく男に舐められる。そういう人たちが口々に言う「かわいいね」は気持ち悪くて、自分が支配できる存在だと思っているからかわいいんだろうなと思った。決して褒め言葉ではなかった。
でも私は、ろくでもない人たちの期待に応えて「かわいい女」であり続けた。
今、この人の目の前で「かわいくない女」になったらどんな反応をするだろう、とよく思った。たびたび私は思い知らされた。
私は完全に「かわいい女」を捨てることができない。舐められていたほうが楽なことがある。よくしてもらえることがある。でも、ときどき私はそんなふうにして生きている自分を軽蔑した。

支配的な態度で自己顕示欲を満たす男へ。わきまえない女を舐めんなよ

昨年の4月に転勤して心機一転、新しい環境になったものの、またもや厄介な男が現れた。2つほど年上の男だった。
その男は、私のせいでないことでも、腹が立つといつも私に八つ当たりした。わざと大きな音をたてて物を投げるなどして、こちらの様子をうかがうのだ。「僕は怒っているんだぞ」という私へのあてつけだった。
そして翌日は、嘘のように上機嫌で話しかけてきた。彼が私以外に当たっているところを、見たことがなかった。私は彼の感情のはけ口だった。

私がわきまえない女として正面から彼にぶつかったのは、昨年の暮れのことだった。
共同で行う業務について、「〇日にしませんか?」と提案したら、別の日がよかった、という理由でまた機嫌を悪くした。机に物を投げつけ、消火栓を蹴った。もちろん、ほかの人がいないところで。
そのとき、私の中で、何かが動いた。もう、この男にも自分にもうんざりだった。私は男の言動に何も反応せず帰った。そして翌朝、いつものようにけろっと話しかけてきた彼にこう言った。
「別室に来てもらえますか。言いたいことがあるので」

別室に呼び出すなり、私はたたみかけた。
「なぜ呼び出されたかあなたはわかっていますか。たぶんわかっていないですよね。言わないとわからないと思うので、言いますね。
あなたが自分のストレス発散のために私にストレスを与え続けていたことを知っていますか。気づいていますか。昨日の件、どうして『僕は別の日がいいです』って言えなかったんですか。どうしてわざわざ怒ってみせて私の反応をうかがうんですか。
私以外にそんな態度をとっていますか。いや、私以外にそんな態度をとっていないことに、私だけに当たっていることに、あなたは気づいていますか」

ようやく言えた「私の人生は私のもの」。それが私の魂の叫び

自分で言いながら、ドラマの長回しみたいだなと思うほどするすると言葉が出てきた。反撃がくるぞ、と覚悟していたら、予想外だった。
男は、私よりはるかに大きな図体を縮こまらせて、動けずにいた。目は大きく見開かれ、うるんでいる。向こうも予想外だったようだ。いつも受け入れるだけだった私が反発することに。私は大きく息を吸った。
「もう一度聞きます。あなたはイライラしたとき、私以外の人に同じ態度をとっていますか。答えてください」

男は、震える小さな声で、「とっていません」と答えた。
「そういうかかわり方しかできないのなら、もう金輪際私にかかわらないでください。私の人生は私のものだし、あなたみたいな人に気持ちも時間も割きたくありません」と言い残して私は部屋を出た。
日の光がすがすがしかった。
その後、男が私に傲慢な態度をとることは一切なくなった。私は、「この子にだったら自分を大きく見せられる」と思われていたのだった。かつてセクハラ男に愛想をふりまいた過去の私も、成仏できた気がした。

「私の人生は私のもの」という言葉は言おうと思って用意していた言葉ではなかった。でもたぶん、私の魂の叫びだったんだな、ずっとずっと私はこれが言いたかったんだな、と思った。
私は私として生きてゆくと決めた。これからも、「かわいい女」を完全に捨てることは難しいだろう。でも、「かわいくない女」をいつでも自分の肉体に住まわせておきたいと思った。