たぶんコンセプトと、理想とされるエッセイの内容とは違うのだろうなと思い、2週間近く投稿するか迷ったけれど……言わせて欲しい。

プリンセス、ピンク、ワンピース…小さい頃から"可愛く"いたかった自分

今の世の中が、可愛くいること、女らしくあることを声を大にして言ったり、人に勧めることがなかなか気を使う時代になってしまったけれど、自分の意思で可愛くいたいと思うなら、無理にやめることはないと伝えたい。

中学校の教育実習に行って、朝の健康観察の点呼をしながら思ったことがある。
男子から女子の順に点呼をしていくのに、男子と女子の声の高さがあまり変わらないのだ。
人によって変わるでもなく、同じようなテンションと、声の低さで返事が聞こえて来る。
一貫した少し低い声を聞きながら、自分の中学生時代のことを少し思い出した。

もともと私は声も高めで可愛い物が好きだったけれど、"可愛くいたい"という意識が人一倍小さい頃から強かった。
色は白やピンクが、プリンセスも小さな頃から好きだったし、小学生の頃からおしゃれが好きで、ワンピースやスカートばかり選んで着て、髪留めの色合いまで気を配っていた。
シュシュが気に入れば、髪の毛に1個、手首にも1〜2個つけて、流石に手首は外しなさいと怒られたりもした。

"ぶりっこ"の陰口が怖くて、わざと声のトーンを下げた

自分の好きなものばかりを選んでいたので、案の定"ぶりっこ"と陰口を叩かれ始めたのが中学生のとき。
可愛くいることよりも、陰口を言われる方が怖かったので、女の子と話す時は普通の声のトーンで、男の子と話す時はあえてトーンを下げて、雑な喋り方をするように気をつけるようになった。
1人だけ声の高さが如実にバレてしまうのが、朝の健康観察の点呼の時で、いつも返事に緊張して、わざと低い声を出して返事をしていたのを、教育実習中の点呼をしながら思い出したのだった。

主に中高生の頃は、どうしたって女と男の境目がはっきりしだして、自分の身の振り方に不安や疑問を感じる頃なのではないだろうか。
中高生の頃は、わざと女の子らしさを感じさせるような服装や話し方を避けて、周りの服装を見て合わせていたが、大学生になったらいきなり、可愛い話し方や服装の子が増えてきて、それに合わせて可愛くなる努力を始める、という人は多いんじゃないかと思う。
自分の中高生時代の性格や話し方や服の好みが、大学生や大人になってから随分変わったと感じる人は一定数いるはずだ。

陰口を言ったりわざとバカにして、可愛くいたい気持ちを隠す人たち

私自身、高校生になって音楽学校に入ってからも、例によってあえて雑にサバサバを意識して話したが、男女比率が1:9で女が多かったせいか、結局女に嫌われるタイプなのか(大してサバサバ意識が功を成してなかったのか)、相変わらず陰口は叩かれており、特に仲良くない女子にわざと声や言動をマネされて"仲良しだからいじってるだけです〜"風にバカにされるのがどうにも嫌だった。

でもある時、そんな風に陰口を言ったり、わざとバカにするような人たちは本当は可愛くいたいと思うのに、それを隠している人たちなのだと気づいてしまった。
可愛くなりたいのに努力をせず、他人を貶すような人たちのために私が変わる必要も、可愛くいることを我慢する必要もないとわかってからは、そんな風にバカにされてる時は笑って流せるようになり、好きなものを身につけ、わざと雑に低い声で話すこともなくなった。

仕事をするようになって、話し方だとか伝え方だとか、声のトーンだとかは仕事場ではあえて"わきまえる"ようになった。
それは別に、相手に合わせるだとか嫌われない為に、というわけではなく明確に、円滑に相手に何かを伝えるためにと考えた結果である。

一番好かれたいと思う相手といる時、"わきまえない"女になる

ただし、最上級に可愛くいてもいい時間がある。
プライベートで、一番好かれたいと思う相手といる時だ。
この時間だけは"わきまえない"女になる。
好かれたい相手といる時には一番可愛い自分でありたいし、可愛くなる努力を惜しみたくない。
いつまでも可愛いと思われていたいし、可愛いと言われたい。
たとえそれが外であろうと、家の中であろうと。
カフェで隣りに人がいたって、通行人がいたって、あくまでも他人なのだから迷惑をかけなければいいだけで(できれば軽いキスくらいなら外でしてても怒らないで欲しい)。
仕事場の時より高い声で優しく話すし、甘えた話し方をする時もある。
もちろん自分にとって一番好かれたい相手が、彼氏や旦那でなくてもいい。
それが推しのライブの日でも、チェキ会だとしても、彼女と会う時でも、片想いの相手と会う時だとしても、相手のことを想って、可愛くなりたいと、可愛く居たいと思うなら、他人にどう思われるかを考える必要は全くないのだ。

その"わきまえない時間"があるから、"わきまえなくてはいけない時間"を乗り越えられるのである。