今年の初詣で引いたおみくじは「大吉」だった。
そこに何度も書かれていたのは、「慎め」という言葉。「望大きく身を慎めば吉」「他人に妬まれ望み破られる恐れあり。深く身を慎めばよし」「控え目にせよ」「身の程をわきまえよ、ならば吉」……。
これ以上に?
子供のころから常にわきまえて生きてきた私。それに比べて姉は…
私にはパワフルな姉が2人いる。勉強、スポーツ、ピアノ……全てにおいて私よりも良く出来る。
子供の頃から何も出来ない私は「彼女達より目立ってはいけない」「出来る人の前で反論してはいけない」「立場をわきまえないと」と、常に「わきまえる」ことを意識して生きてきた。「控え目に」が癖になり、いつも私は「身の程を知る」に囚われてきた。
社会人になれば、この「わきまえる」ことを意識し過ぎた私はいつもモヤモヤしたままその場をやり過ごす。
立場が上の人間に独身であることをいじられた時。年上の人に「あなたはこういう人間」と決めつけられた時。不本意な仕事を頼まれた時……。
傷ついた自分を悟られまいとしたり、人に嫌われる事を恐れたり、または、「わきまえて」我慢した。
出来る姉の一人は、協調性はありながら、上手く自分の主張を通す人間である。ある人から見れば「わきまえない女」である。
彼女は簡単には同調しない。「そーよねー」「わかるー」などと適当には答えない。彼女は自分が嫌なことはしない、したい事はする。たとえ誰に批判されようと。そんな人間である。
彼女はどんな時も言いたい事は簡潔に意見を述べるタイプである。
「私の仕事ではないので」「私も忙しいですので」「私の世界は広いので」「誰もが望む事って何のことですか?誰もがって誰の事ですか?」「嫌です」「結構です」「しません」「出来るけどしません」……。私には言えない事を彼女は言える。
誰もが言いたいことと言える彼女は、実は「わきまえる女」なのかも
ある時マンションの理事会が行われ、彼女の友人が隣人トラブルに巻き込まれた時のことである。
自分のことばかりを話し、被害妄想が激しい典型的なクレーマーに彼女は「全部人のせいにしないでください。みんなに迷惑がかかっています。ここは集合住宅です」と言い、その場を沈めた。
誰もが言いたかった事を彼女は堂々と、迷いなく言った。
このように彼女はいつも自分の言いたい事を我慢せずに好きに発言してるだけにみえて、実は誰よりも他人を気にかけている実に「わきまえる女」なのかもしれない。
彼女はいつも立場の弱い人間の味方であろうとしてるのかもしれない。社内で無意識に出る女性蔑視な発言に対し反論するのも、他の独身や子なしの女性社員にとってどれほど救いになることか。
姉は自己免疫疾患を患っている指定難病患者である。
きっと彼女は自分に正直に生きたいのだ。短いかも知れない人生に後悔したくないのだ。多様性を尊重したいのだ。弱い立場の人間が言えない事も他人の為に、自分の為に言いたいのだ。
「あんたに、わきまえている暇なんてない」。姉の言葉が心に響いた
「わきまえない女」は人生に向き合って、戦っているのだ。
先日、姉にお正月に自分が引いたおみくじが大吉だった話をした。
「謙虚に慎め、身の程をわきまえれば吉か」と呟く私に、「あんた、相変わらずくだらないね。あんたにわきまえてる暇なんてないはず」と笑った。
この先、少し勇気が必要な場面で迷った時、私は彼女を思い出す事にした。
「あんたに、わきまえてる暇などない」
確かにそうだ。