「わきまえない女」このテーマを見たとき、私は日本のどんな女たちを指しているのか、すぐイメージすることができた。
試しに「わきまえない男」というタイトルを考えてみた。するとどうだろう、咄嗟にイメージができない上に、なんだか違和感を覚えたのである。
もちろん、私が女性だからなのかもしれない。しかし、この違和感こそ、「女性はかくあるべき」という暗黙の価値観の中で私が生きている証だと思った。
子供の頃から「女らしさ」は疑問の嵐で、成長しても疑問は増すばかり
子供の頃から「女らしさ」は私にとって疑問の嵐だった。
自分が、どうもそれから少しずれたタイプらしいと、気づいたのはいつだったか。
女子たちがセーラームーンに夢中になる傍らで、私は戦隊ヒーローが好きだった。
家庭科や音楽が大嫌いで、図画工作や技術の授業が大好きだった。
ピンク色ではなく、青色が好きだった。
でもそれは、周りからはちょっと変な女子だったらしい。
成長してからも、疑問は増すばかり。
ひとり旅や、立ち食い蕎麦屋が好きだなどと話すたびに「女の子なのに?」と、謎の言葉が返ってくる。女性らしくない言葉を使い、荒い動作をするたびに「親御さんが泣くよ」と、またまた謎の言葉が返ってくる。
挙句の果てに、アイドルや恋愛に強い関心がないと口にすれば「もしかしてレズ?」「男になりたいとか?」と、大層飛躍した誤解をされる。
というか、失礼である。私は、友達から男みたいと言われたことはないし、親に泣かれたこともなければ、店の大将に女の子ひとりはお断りなどと言われたことも一度もない。男になりたいとそういう意味で思ったことはないし、恋愛対象も男性だ。
ただ、「女らしい」とされているデザインや言動や趣味というやつが、単に私の好み特技ではないというだけのことなのだ。
社会人になり、「女性」に求められる謎の常識に驚きの連続
成人し、社会人になってからは驚きの連続だ。
忙しなく動き回り、力仕事も多いのに、ハイヒールパンプスにタイトスカート、薄くて破れやすいストッキングの着用が義務という職場がなんと多いことか。
それがマナーだという一言で片づけられてはどうしようもないのだが、私はこの会社は女性に仕事をさせる気がないのだろうかとやはり感じてしまう。
最近流行りの刑事ドラマで、犯罪者に対処するかもしれない女性警官が、タイトスカートにハイヒールパンプスという出で立ちであることに気づいたときは、本気でひっくり返りそうな気分だった。
また、女性のすっぴんはマナー違反であり失礼という社会常識がある。しかし、失礼なのはどちらだろう。
すっぴんは裸でいるのと同じという言葉をどこかで聞いた覚えがあるのだが、なら男だって同じなはずだ。ファンデーションで肌を整え、眉を綺麗に描く程度はすべきである。なぜその程度の努力すらしないのか、誰か教えてはくれまいか。
なぜ女子力が高くないといけないのか、答えを持っているのだろうか
世間の「女性らしさ」に義務なんて本当はない。
男性は言わずもがな、「女子力が足りない」と世の多くの女性たちは義務のように口にするが、なぜ女子力が高くないといけないのか、自分なりの答えを持っているのだろうか。時々私は心配になる。
結局、男の夢のため、世間の理想像のために「女らしい」を追求しても、残るのはたぶん、本当に好きなものすら忘れてしまった、からっぽの自分だけだ。
メンズ、ユニセックスデザインでも、自分が素敵だと思った物なら私は買う。
行きたいお店に行き、食べたいものを食べたいときに食べる。
カッコいいのも、可愛いのも、綺麗なのも私は等しく好きだ。
私は何が女らしいかではなく、何が私にとって幸せで、合理的かで選択する。だって女らしくあることは、結局自分が好きでやることであって義務じゃない。
「ビジネスマナー」という魔法の言葉で片づけられてしまう厄介な問題はもちろん残るが。
もし、「女子力が足りない」と言われて落ち込んでいる女性がいるなら彼女たちに、私はこの言葉を贈ろう。あなたにそんな失礼な助言をしてくる世間や輩には、心の中でこう言い放ってやるといいのだ。そして、自分の好きや楽しい気持ちをどうか大切にしてほしい。
「どうも!でも余計なお世話です」