特集:私が、だれかを切実に頼ったとき

何者かになりたかった炭鉱のカナリアは、傷つきながら進んでしまった

私が、だれかを切実に頼ったとき

私が、だれかを切実に頼ったとき

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「炭鉱のカナリア」。
カナリアは繊細な生き物だから、ガスが漏れているといち早く察知して死んでしまう。
かつて炭鉱労働者は、ガス漏れに気づくためにカナリアを炭鉱へ連れて行った。
カナリアのような繊細な人から死んでいくこの社会には、既にガスが漏れている。

大学の授業で聞いた話。
心に引っかかり、忘れられなかった。
私はカナリアだ。
そう思ったから。

「何者か」になりたかった私は大学で、フランス語のスピーチ大会に参加することに

負けず嫌いの私はずっと「何者か」になりたかった。
大学1年の時、週6日を費やした運動部は人間関係の不和から追い出されるようにして辞めた。
2年生になって入った留学生と交流するサークルは、英語が下手すぎて日本人から鬱陶しがられる始末。
誰にも否定されない「何者か」になれれば、もう苦しまずに済むと思っていた。

そんな私にチャンスが舞い込んだ。
フランス語の授業で先生がスピーチ大会への応募者を募っていた。
「僕についてくれば誰でも優秀になれる」
歴代の先輩たちはその先生の指導のもとで華々しい功績を残していた。
まだ周りも初心者ばかりのフランス語なら、私は誰にも負けない「何者か」になれるかもしれない。
先生の甘い言葉に誘われて、カナリアは坑道へと進んでしまった。

早速、先生から日本語で原稿を作成するように言われた。
テーマは自由。書きたいことは決まっていた。
「Aux étudiants en manque de confiance (自信を持てない学生のために)」
拒食症の友人を救えず無力感を覚えた痛烈な過去から、私は自分に自信が持てなくなった。しかし私を救ってくれた本があった。その本を題材にして、自信満々に書いた原稿を先生に見せた。
ところが、先生の返答はスピーチに関するものではなかった。
「なぜ血の繋がった姉妹でもないのに他人をそんなに心配するんですか?」
グサリ、と鋭利な刃物が胸に刺さった。

それからモラハラの日々が始まった。

先生の言葉に傷つきながら、準備に明け暮れた大会の結果は…

狭い研究室に先生と私だけ。毎週1回1時間。同じ言葉を浴び続けた。
「君の考えはおかしい」
「去年の先輩たちはすごかった」
「僕についてくれば君も優秀になれる」
カナリアは身体中に切り傷を負い、血を滲ませながらも耐えた。
全ては「何者か」になるために。

大会の1ヶ月前からは毎日、準備に明け暮れた。授業が終われば先生の研究室に直行。その後すぐに一人暮らしの家に帰ってスピーチを暗唱する。サークルもバイトも行けなくなり、当時の恋人とも疎遠になった。
カナリアはガスを吸って全身の感覚が麻痺しきっていた。
それでも負けず嫌いなカナリアは、朦朧とする意識のもとでバタバタと羽を動かし続けた。

“Je crois que le fait d’avoir confiance en soi n’est pas lié au caractère ou à la nature d’un individu, mais simplement au fait d’avoir trouvé ou non ce que l’on est vraiment. (自信が持てるかどうかは、個人の生まれ持った性格ではなく、本当の自分を見つけられたかどうかに関係している)”

大会当日。
予選敗退。
涙が溢れた。
後輩や友人たちの、期待と尊敬の眼差しを思い出して吐きそうだった。
誰とも話したくない。誰の目にも触れたくない。
ここで実績ができれば私はもう誰にも馬鹿にされない「何者か」になれると思っていた。
でもやっぱり、私には何もないんだ。
「本当の自分」など、どこにもいない。
自信を持てない学生に宛てたあの文章は無意味なのだと、敗者の私は身をもって証明してしまった。
帰り道、私を運ぶ電車の中。鼻と口にハンカチを押し当て嗚咽を必死に抑えた。

次の日、重い体を引きずって先生の研究室へ向かった。
先生の口から出た言葉は2つだけ。
「お疲れ様」
「やっぱり去年の先輩たちはすごかったね」
ついにカナリアは力尽きて倒れ込んだ。

力尽きて学校に行かなくなった私に、友人からメッセージが届いた

次の日から私は大学に行かなくなった。
ほとんどの授業が出席を取らないから、授業に来なくても誰も気に留めない。
私は狭いアパートの一室で、ベッドから起き上がれない日々を人知れず過ごした。

2週間ほど経ったある日、友人かLINEのメッセージが不意に届いた。
「大丈夫?」
その一言にすがるように電話をかけていた。
本当は誰かに話したかった。
大会に出た理由も、先生に最後まで浴びせられ続けた言葉も、周りの目が怖くてもう動けないことも。
全てを情けないくらいに吐き出した。

「胸を張る相手を間違えちゃいけないよね」
友人のゆっくりとした口調が、地に横たわったカナリアを温かく包み込んでいった。
「本当の自分」は今ここにいる自分。
ありのままの自分を受け入れてくれる人たちに恥じない生き方をすればいい。
友人の言葉が気づかせてくれた。
ごめんね、私。傷だらけになるまで気付いてあげられなくて。

それから私は少しずつ学校に行けるようになった。
サークルに復帰すると仲の良いグループができた。
実績などなくても、「何者か」でなくても、そのままの私を受け入れてくれる人たちがいた。
ガスで満ちた真っ暗な炭鉱に光が差しこんだ。
カナリアは目を覚まし再び立ち上がった。

​​私は炭鉱のカナリア。
他人が発する棘のある言葉に、心のざらつきを感じずにはいられない。その擦り傷は腫れを帯び、じわりじわりと私を苦しめ続ける。
ずっと、何も感じないで平気で笑っていられる人間たちが羨ましかった。どうすれば人を貶める攻撃的な感情に対して不感症でいられるのか。
私はこの強すぎる感受性がひとたび疼けば無視することができない。
でも、これが私なんだ。
繊細で、小さな言葉の棘にさえ傷ついてしまうのに、それでも前へと進むのをやめない。だから、誰かが「もう危ない」と呼び戻してくれる声に頼って引き返すしかないんだ。

私のような、負けず嫌いなカナリアたちへ。
その黄色く美しい体を傷だらけにしてまで、平気なふりをして進み続けなくていい。
炭鉱の騒音にかき消されてしまう細く高いさえずりを、聞いてくれる人はきっといる。
だから、その人たちが「止まって」と叫ぶ声にどうか耳を塞がないで。

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