「これは、あなたに」
そう言って差し出されたのは、初めて知る作者の本だった。
「言い寄る」(田辺聖子著)という潔すぎるタイトルと、レトロな一人の女の人のイラスト。渡してくれた人は、私が店員をしていた本屋の常連さんだった。
店員といってもほとんどが私と同じ大学生のボランティア。お客さんとの距離が近く、いつもわきあいあいとした会話が飛び交う、少し特殊な本屋だった。
その常連さんは当時の私からするとお母さんくらいの年の方だったけれど、「ハリーポッター」の話で盛り上がったり、友達のような感覚でおしゃべりができる方だった。
渡された本に唸る気持ち。壮絶な展開も軽快な文章表現で進んでいく
「え……ありがとうございます」
私には言い寄るイメージがあるのか、とちょっと笑いそうになりながら受け取ったような気がする。誕生日でもなんでもないのに本をもらうことなんて珍しかったから、恥ずかしいような嬉しいような気持ちだった。
その頃、本屋で出会って仲良くなった男の子何人かをデートに誘っていた時だったから、あながち間違ってもないのかなあ、と思いながら。
読んでみて、まず文章のテンポの良さと話の展開のおもしろさに唸った。
実は作者田辺聖子さんの代表作とも言われる三部作の1冊目で、31歳の女性主人公「乃里子」とさまざまな男との出会いや出来事を描いた恋愛小説だった。
本当に好きな人には言い寄れず、気が合う友達のような男の子と遊んだり、夏の島で大人の男の人に出会ったり……展開的には壮絶だったりショッキングだったりするのだけど、それを感じさせない軽快で豊かな文章表現。関西弁で話が進んでいくのも新鮮だった。
余裕がない時に好きなシーンを数ページ読むだけで心が少し楽になった
それから、何度この本を開いただろう。社会人1、2年目の頃は心も体力も余裕がない日が多く、新しい知識を増やすような本を読めない時期も多かった。かと言って、スマホを開いても消費的な癒ししかそこにはなく、SNSだけで0時をまわって寝る夜は、私の中に何も良いものを残さないのだった。
そんな時は、枕元にある本棚からこの小説を引き抜く。好きなシーンを数ページ読むだけでも、少しだけ心が楽になった。
そこに綴られているのは、乃里子という一人の女性の揺れ動く感情と、乃里子の目線で見たまわりの人たちとの現実世界。
乃里子は、「自分がどう感じているか」をとても大切にしていた。「まわりがどう思っているか」は正直二の次。だからこそ、不器用で、失敗もあって、人間らしくて、人生を楽しんでいる感じがした。
プレゼントという形で届いた大切な本をいつかさりげなく渡せる女性に
今年、20代最後の年になる。今ではめったにこの本は開かないけれど、たぶん今の私が「自分が感じたこと」をもとに日々の生活を送れているのは、この本を読んでいたことが土台になっている気がする。
「自分の感じたこと」を、あらゆる言葉を使って伝えたり残したりする魅力も、この本が教えてくれた。だから誰の知識になるわけでもない、でも誰かにちょっとでも安心してもらえるような文章を、noteやZINEで表現しようと試みている。
あと、どこかで私はこの本は40年以上前に書かれた本だということにも救われていた。
田辺聖子さんが時を超えて一人の若い女の子を応援してくれているような、つつみこまれるような心強さを感じた。きっとどんな時代にも、女性は身体や心でいろいろなことを実感していて、それを抑え込むことが良いことではないことも知っている。
それを素敵な小説という形で心地良く表してくれたこの本が、私のもとにプレゼントという形で届いてくれて本当に良かった。いつか、この本をさりげなく20歳くらいの女の子に渡すことのできる女性になれたら、と思う。