「休職しましょう」
わたしは医師に淡々と、そう告げられた。
もっと話を聞いてから診断されるかと思っていた。そうしたら、案外あっさりでわりと覚悟を持って行ったので、拍子抜けした記憶がある。
自分自身、そのときはそこまで重症ではないと思っていた。ちょっと疲れていますね、とかそのくらいで帰されるんかな~と思ったら、結果は全然違っていた。
信じられなくて、同じ院内だけど違う先生にも同じ話を聞いてもらった。どういう結果からそういう診断になったのか、丁寧に教えてくれて、ようやくわたしは結構危ないところに差し掛かっていたのだなと思った。
彼に何度も聞かれた「大丈夫?」の一言に、病院の受診を決意した
病院へ行こうと思ったきっかけは、彼氏からの一言だった。
彼がわたしの家に泊まりに来た時、仕事帰りでぼーーっとしていたわたしと部屋の様子を見て「大丈夫?」と何回も聞かれたのだ。
自分では大丈夫だと思ってはいても、第三者からそれだけ聞かれるということは、普通の状態ではないのかもしれないと疑問を抱いたのだ。
原因は仕事によるストレス。産休を迎えた前店長の後を引き継いだが、スタッフの入れ替わり、コロナ禍でスタッフ減員の中での業務、スタッフがコロナに感染などが雪崩のようにやってきて限界が来ていた。
それによりメンタルだけでなく、胃にも来ていた。仕事の前日の夜や朝にお腹が痛くなるということが度々あったのだ。
わたしは笑顔で「大丈夫です」と言っているときがあるからと言われ、店長になってからは「大丈夫じゃないです」と言っていたが、小さなSOSのサインは届かなかったのかもしれない。
お客様もスタッフも好きだけど、店長という責任感が私には重荷で
言い訳になるが、わたしは一人っ子で、いとこも全員年上だった。だから年上とはわりと上手に付き合っていけるのだが、何にしろ年下との免疫がなさすぎて接し方がわからない上に、頼るというのはわたしにはハードルが高かった。
上の役職になると、どうしてもその業務が出来て当たり前になる。売上が伸びたとかそういう成果がない限り、誰も褒めてくれないのだ。それが当たり前と言われてしまえば、仕方ないのかもしれない。
でも、モチベーションは下がる一方だ。自分で自分を褒めても、もう上がれないくらいだったのだ。やることはわかっていても、どれから手を付けたらいいかわからない。相談できる相手がいない、苦しかった。
お客様も好きだし、スタッフも好きだけど「店長」という責任がのしかかることで無感情になっていく自分がいて悲しくなってしまった。
このやるせない気持ちから解放されるのであれば、逃げと思われようとも逃げ出したかった。
久しぶりに家族の温かさに触れて気づいた、今の私に必要なもの
仕事から離れて、会いたいと思ったのは「家族」だった。
飛行機で行かなければ会えない距離にいる両親。近くには彼氏がいるけれど、彼も仕事でいっぱいいっぱいで頼るのが申し訳なくなった。仕事をしている彼を目にして、休んでいる自分がなんだか情けない気持ちになってしまうこともあったから、必然的に頼れるのは家族になった。
両親にいつなら帰ってもいいかと交渉して、4泊5日で1年ぶりに帰省した。あんなに電話はしていたけど、顔を見るのは1年以上経っているんじゃないかと思うくらい久しぶりに感じた。
一人暮らしの部屋も離れて、他県に行くことで「働くわたし」も、「自分のことをしなくてはいけないわたし」も忘れられることが出来た。ちょっと手伝っただけで、「女の子が家にいてくれると、こういうとき助かるわあ」と甘やかしてくれるのだから、親はありがたい存在だ。
帰るときももう寂しくて仕方なくて、大号泣してしまった。わたしには家族の温かさが必要で、近くにあってほしかった。父が先に家を出たあとに大人げないとは思いながらも、母にハグを求めたのももう懐かしい。
もらった温かさを今度はわたしが誰かにあげられるように、今はしっかり休もうと思う。