「自信がない」がパッと浮かぶ私の短所だ。
自信がないから、相手に譲る。自信がないから表にでない。自信がないから意見を言わない。

このように私は、生きてきた中で遠慮ばかりしていた。そして、今思うと自分が輝ける場を設けてくれていたのにも関わらず、私は跳ね除けて、せっかくの機会を逃すことを何度もしてしまっていた。
だが、こんな遠慮ばかりの私なのに中学2年生の時、吹奏楽部に所属していたのだが、他者推薦により次期部長に任命された。
顧問の先生から呼び出された時に、そんなことを言われるとも思わず、逆に私何かやらかしたかなとドキドキして向かったのを覚えている。
そしてその頃から遠慮しがちなことを理解していた自分は、最初断ろうと考えたが、これが自分の変わるチャンスなのかもしれないと思い承諾した。そして、先輩が引退した中学2年生の夏から、私は本格的に部長として活動した。

遠慮の塊の私が部長に。弱みを克服して部活のメンバーに寄り添った

部長は、たくさんの部員それぞれに寄り添って指示しなければならないということはわかっていた。寄り添うという面では、人と仲良くなるのは得意だったため苦になることはなかったのだが、統率力のかけらもなかった私は指示するのがとても苦手だった。
先生にそのことを相談すると、「あなたは人柄から信頼されて今の役職に推薦されたんだから自信を持ちなさい。度量よし器量よしのあなたなんだから!それでも難しかったら副部長に指示の面は任せなさい」とおっしゃってくださった。
その言葉に救われた。それから、少し自信をつけて指示をしようとしたが方法が分からずに、結局先生がアドバイスしてくれたように副部長に統率を任せた。
その子は人を巻き込むのが上手で、逆にコミュニケーションを全員同じようにとることが苦手だったため、そこは私がカバーすることで最強の部長副部長コンビとなった。その時初めて人を頼ることの大切さを学んだ。

今まで自分の悩みを人にさらけ出してしまうのは迷惑をかけてしまうから、なるべく自己解決しようとする癖があった。それは間違っていたのだ。副部長に初めてそのことを相談した時、逆に彼女はとても喜んでくれて安心した。
そして順調に部活が成長していた中学2年生の秋。私は、父親の転勤で、大阪から埼玉への転居が中学2年生の3月に決まったことを告げられた。
告げられた日は、それはそれは泣いた。1日泣いた。
友達から離れてしまうこと、部長という役職へ任命されたにも関わらず転校してしまうことへの罪悪感、転校への不安。様々な感情が入り混じった涙だった。

しかし、決まってしまったことは変えられない。私は、勇気を振り絞ってまずは顧問の先生に伝えた。
とてもショックを受けていた。その姿は今でも忘れないし、いかに自分を評価してくれていたのかを実感した。そして、順に先生や友達、副部長に伝えた。みんな驚いて悲しんでくれた。
私はそこから転校するまでの何ヶ月間かを本気で過ごして後悔のないようにしようと心がけた。
そして3月。私は、クラスのみんなからの寄せ書きをもらい、大号泣して別れの言葉を残し、最後のホームルームを終えた。

順調にメンバーの信頼を積み重ねた矢先、転校に。副部長に託した思い

そして、最後の部活。部活の皆が画用紙で私に向けてひとりひとりメッセージを書いて写真をとり、スライドショーにしたものを渡してくれた。なんて私は周りの人に恵まれたんだと実感した。
そして、感謝の言葉をそれぞれに伝えて、最後に副部長の元へ向かった。
「本当に短い期間だったけど、感謝しかない。これからは、副部長が部長になって皆を引っ張って欲しい」と、最後は頼る言葉が必然的にこぼれた。そして、副部長は「もちろん部長の分まで私に任せて!安心して」と言ってくれた。その言葉にホッとして肩の荷が降りた気がした。

そして転校した先でも私は吹奏楽部に入った。これらの経験がなければ、私は一生涯人を頼ることを拒んだまま、一人で抱え込んでしまうような人生だったと思うと、部長という役職を担ったからこそ人を頼ることの大切さを学ぶことができた。