そのバスは青とグレー。家の前を通るバスと同じ色だった。
場所は南米チリ。私は仕事のために、閑静な郊外の町から中央都市に移ってきたところだった。
安心して乗り込んだバス。最寄りまではおよそ10分のはずが
夕方、出発を待つミニバスがたくさん並んだバスターミナルで、私は家に向かう青とグレーのバスをキョロキョロと探していた。
それらしきバスを見つけ、中にいた運転手に「あなた、タルカモールのほうに行くの?」と聞いてみた。私の家のすぐそばにあるショッピングモールだ。
そうだ、と運転手はこっちを見ずに答えた。
よし、見つけた。これが私を家まで運ぶバスだ。
私は安心してバスに乗り込み、前列に座った。
間もなく陽が落ちて辺りは暗くなり、バスは発車した。
ターミナルから家の最寄りのバス停までおよそ10分。長旅になるはずがない。
前列にいた私はバスの進行方向を眺めていた。
さぁ、そこを左に曲がってモールのほうへ……もうすぐそこが家だ。
帰ったら軽い夕食にしよう。ワインがあるから、近所に住むセルヒオを訪ねてもいいか。そんなことをのんびりと考える。
ところが、バスは左に曲がらなかった。
ぼうっとしていた私は、バスが思わぬ方向に進むのに気付いてハッと凍りついた。
バスはあっと言う間に幹線道路に入ると、一気にスピードを上げた。
バスを乗り間違えたのだ!
事前に行き先を確かめていたはずなのに、乗ったバスはどうやら間違いで…
私は冷や汗をかいていた。
バスに乗る前に行き先を確かめたはずだったが、間違っていたらしい。
私はスペイン語が下手だったし、チリ人のスペイン語はとにかく早口だ。コミュニケーションが間違っていたとしても不思議ではない。
しかし今はそんなことはどうでもいい。問題はこのあとどうするかだ。
幹線道路では下車できないので、バスが次の町に入るのを待つしかなかった。
家が遠のいていくのを感じ、心の中に不安が積もっていく。
バスは町に入るとスピードを落とした。いつもこのバスを利用しているであろう人々が、バス停で停車する度に一人また一人と降りていく。うちへ帰るのだろう。
私は明かりのあるバス停で降りることにした。どうすれば元のバスターミナルに戻れるのか、運転手に尋ねるべきだったが聞かなかった。
きっとまた言葉が通じないに違いない。すっかり自信喪失し、小さくなってバスを降りた。
せめて、自分で帰らなければ。
心ではそう奮起していても、バスが去ったあと、私は一人ぼっちだった。
辺りを見回す。ここは人通りがないようだ。心細さが真の不安を連れてくる。
ここはどこなんだ?
試しに反対側のバス停に行ってみたが、チリのバス停のほとんどがそうであるように、時刻表も行き先も何も掲示されていなかった。
正直に送ったSOS。迎えに来てもらうも、こんな自分が情けなかった
ここで待っていればターミナル行きのバスが来るのかも、果たして次のバスが今夜中にここを通るのかも、私には検討もつかなかった。
夜。異国の地。人がいない。帰り方が分からない。
どうしよう……。
焦りと不安が私を襲った。
たまらなく怖くなって、セルヒオに助けを求めた。
バスを間違えて遠くまで来てしまい、帰り方が分からない。助けてほしい。
正直にそうメッセージを送った。
チリに来て既に4ヶ月ほど経っていた。
買い物も、長距離バスの予約も、大家さんとの話も、身の回りのことは一人でできるようになっていた。
仕事も手に入れて、なんとか家賃を払っていけるようにもなった。
それなのに、さっきセルヒオに送ったメッセージを読み返すと、自分のことがまるで小さな子どものように思えた。
なんでも自分でできるなんて、私の勘違いだったのだ。
メッセージを受け取ったセルヒオは、すぐに私の救助作戦を手配してくれた。
GPSで私の居場所を把握すると、車を持つ友人に次々と声をかけてくれた。
そして私がメッセージを送った5分後には、彼のルームメイトのネルソンが車でこっちに向かっていた。
「ネルソンが迎えに行く。十字路に出て待つように」
セルヒオのこの返信に安堵して、全身の力が抜けた。助かった!
同時にこんなことに友人の手を借りてしまう自分が情けなくて、恥ずかしくなった。
大きな野良犬が私を横目に通り過ぎて行った。彼は自分の家に自分で帰れるのだろう。
迷惑をかけたことを謝ると、返ってきた言葉は忘れられない台詞で
ほどなくしてネルソンが現れ、私は無事「救助」された。
車の中で、ネルソンに繰り返し謝った。大人の私がこんなことで迷惑をかけて、心底申し訳なかった。
ネルソンは驚いていた。
君はすぐそうやって謝るけど、迷惑なんてことはない。
困っている友人を助けるのは当然のこと。君が無事だったから、それでいいんだよ。
そう言って頷いた。
私はセルヒオとネルソンの家に送り届けられ、彼らとワインではなくお茶を飲んだ。
迷惑をかけてごめんなさい。車の中と同じ言葉を繰り返した。
セルヒオの反応はネルソンと全く同じで、困っている友人を助けるのは当然のことだと言ってくれた。
セルヒオが淹れてくれたお茶は温かくて、まだ緊張で強張っていた私の身体を一気に溶かしてくれた。
そして、困っている人を助けるのは当然だという台詞が心に響いていた。
私は普段そうしているだろうか。
いつか今日のことを思い出して、誰かを助けられたらいいと願った。
そして、もう二度とバスを乗り間違えたくないと思った。