私は小学生の頃、毎日「死にたい」と考えていた。
初めてはっきりと「死にたい」と思ったのは小学3年生の頃。当時は家庭内での居場所を上手く見つけられずにいた。
家族の病気、放課後も外に出してもらえない制限された生活、何より毎日朝から晩まで怒鳴られ続ける生活は、幼かった私に大きなストレスを与えた。

また、学校でも上手く友達が作れずにいつも孤独を感じていた。
元々涙脆く、完璧主義なところがあった私はストレスに耐え兼ね、日に日におかしくなっていった。
何でもないのに涙が溢れる。クラスの子の話す声が耐えられないほどにうるさく聞こえ、やってはいけないという気持ちとは裏腹にヒステリーを起こした。
そんな私は、我慢が足りないどうしようもないやつ。実際にそう言われたし、自分でもそう思っていた。

「生まれてごめんなさい」と泣きながら眠り、目が覚めるのが恐ろしい

毎日、怒鳴られるのではないか、見捨てられるのではないかとびくびくしながら生活していた。毎晩「生まれてごめんなさい」と泣きながら眠り、朝は目が覚めるのが恐ろしくて仕方がなかった。

自分を変えなくてはならないと考えた私は、子育てに関する本をむさぼり読んだ。大人はどんな子どもが好きなのか、どんな風に育ってほしいのか、それに合わせて生きていこうと思ったから。
明るく優しく、問題を起こさず、勉強も運動も積極的に取り組む。友人を沢山作り大人の言うことを素直に聞いて。テストは100点を取らないといけないけれど、可愛げもなくては愛されない。

私は居場所を見つけようと必死だった。私の兄弟は優秀で人から好かれるタイプだったこともあり、ますますコンプレックスを感じるようになっていった。
私の家族に私は要らない。何の役にも立たないのに育ててもらっているなんて足手まといの金食い虫だ……。
そんな気持ちで毎日教室の窓を眺めては「ここから飛び降りたら死ねるかな」、道路を見ては「今、車の前に飛び出せば死ねるかな」と思っていた。

うっかり友人にこぼした「死にたい」。絶対引かれる、終わった、と思ったけれど

そんな生活を数年続けていた私に転機がやってきた。
習い事で知り合った友人と楽しく談笑していた時のことだ。私はうっかり「実は死にたいんだよね」とこぼしてしまった。
自分の言葉に心臓がバクバクと嫌な音をたてる。終わってしまった、と咄嗟に私は思った。
死にたいなんて暗い話を友人にしてしまうなんて、絶対に引かれるだろう。気持ち悪がられるかもしれない。見放されてしまって、噂が広がったりなんてしたら……。
そんな悪い想像で頭がいっぱいになってしまった時、友人はなんと「わかる!」と返事をした。
聞けばなんとこの友人はちょうど私と似たような境遇で、似たような考えを持っていたらしい。

それを知ってひどく安心した当時の感覚を、今でもはっきりと思い出すことができる。
食事も寝床もあるのに辛いだなんて自分の怠慢だと思っていたが、そうではなかった。自分以外にも死にたいと思っている人がいるという衝撃と安堵に肩の力が抜け、涙が溢れた。まさか、同意が得られるとは思ってもいなかった。
その後は時々お互いに「死にたい」「わかる」という会話を繰り返し、そのうち死ぬ前にこの子と同じ学校に通いたいな、という希望が私に芽生えていった。

もう無理だと思ったら、無理だと誰かに言ってみた方が良いと分かった

小学生の頃の私は本当に限界だったのだと思う。当時の状態は精神的に追い込まれている人に表れる症状そのものだと後になって知った。
死にたいとこぼした時はもう呼吸をするのも辛くて絞り出すような状態だったから、私の中の生存本能みたいなものが私を突き動かしたのかもしれない。もしも私の気持ちを否定する人にこぼしてしまっていたらと考えるとぞっとするが。
これは、荷物が重すぎて落としたところを人に見られたことで抱えきれないと自覚し、半ば強制的に人を頼ることになったような、そんな経験である。

この経験で分かったことは、とにかくもう無理だと思ったら無理だと誰かに言ってみた方が良いということ。
別に人間に言わなくても、ネットで「死にたい」と検索するだけで相談窓口や病院や、今すぐ休むべきだという内容のホームページやブログがヒットする。いったいどれが心に響くかは人それぞれだが、手段は多い方が良い。
私は現在も死にたい気持ちになった時は早めに検索をかけて、どうせ死ぬなら貯金を使い果たすまでダラダラしてやる予定であることを思い出している。それでもだめなら友人達に相談するというルーティンができた。
死にたい気持ちはなかなか消えてはくれないから、いろんな人や物に頼りつつなんとかやっていければいいのではないだろうか。