わたしは元来「誰かに頼る」ということに抵抗がある。
だいたいのことは一人でできると思ってきたし、何かを誰かにお願いする、頼るということは恥ずかしいことだと思っていた。
周りの大人たちも、長女だからかなにかを頼んでくることもよくあったし、「手がかからない」「そつなくなんでもこなす」と評価された。
そして、自分の気持ちをうまく話せない人間が出来上がった。

敏感で他人に関わって欲しくない人間。心の中の警戒感は増して

わたしは人より敏感な気質がある。
大きな音も苦手だし、明るい光は眩しすぎる。怒号が飛び交う場には、たとえ対自分じゃなくとも辛くなる。
そしてなにより周りをよく見すぎてしまう。
他人に嫌われるのが怖いと思ったことはない。
むしろ嫌って嫌って、関わらないでほしい。
でなければ、その人が少しうつむき少しため息をついただけで、「何か次の話題を用意しなくては」「場を盛り上げて気持ちを昂らせなくては」と自身に緊張感が走る。
幼少期からそのように過ごしてきたので、自分のことを誰かに頼むのは、色恋沙汰の手段としてきた。

学生時代は地味で暗くひっそりしていたが、社会に飛び出してからはメイクの面白さやファッションの楽しさを十二分に味わった。
おかげで声を掛けられることも多く、そして笑えるほど人というものはすぐに焦がれると知った。
わたしがそういう相手ばかりに運があったからかもしれない。
しかし年齢を重ねる度に余計そのように「少し媚びると喜んでくれる」実例に遭遇することが多くなっていた。
その度に警戒心はどんどんと増し、頼るどころの話ではなく信用できなくなっていった。
本来わたしは人間が苦手なので、そのように媚びへつらうのもあれなのだが、生きている中で身につけた処世術だった。

警戒せずに済んだ7つも下の相手。そして突然、緊張の糸が切れた

昨年春。社会的に結婚適齢期も過ぎ、焦っていた心もモヤモヤしていた頃、7つも下の相手と出会った。
7つも下なので、普段の警戒心などもなく。その場のノリも相まって連絡先を交換した。
相手は妙に落ち着いているように見えたし、大した意識も仕事の間柄でもないので気を遣わず、試すように媚びへつらわなくてもよかった。
会わずとも連絡は続き、会っても真意まで踏み込んで来ることのない、不思議な関係を貫いて3ヶ月。
ある日、突然わたしは仕事に行けなくなった。
今まで全てにおいて張り詰めていた緊張の糸も、周りへの気づきも、なにもかも。
全て投げ捨ててしまった。
罪悪感と焦燥感。
社会から解離されたような不安。

そんな中、7つも下の相手から「もっと頼ってほしい」と。
今まで自身の気持ちをぶつけても来なかったのに。ハッキリと真っ直ぐ。

何重もの感情のブレスレットのビーズが弾けたような安堵感

その瞬間、何重もの感情で出来たブレスレットのビーズがパンッと弾けるような安堵感。
あぁ、自分の気持ちを伝えるのはこんなにも勇気がいることなのか。そして、それに頼るのはこんなに安心するものなのか。そう思えた。

一人で出来ると他人から逃げてきた中で、その相手はゆっくりゆっくり時間をかけて扉をノックしてきた。「頼って」という言葉によって。
わたしは「頼る」ということは、物事を物理的にどうにかするだけではないということを学んだ。
幼少期から積み上げてきた、一人で出来るという感情は、一人より二人でに徐々に変わった。
おかげさまで、今ではすっかり頼ってばかりなわたしだけど。