新型感染症が世界に広がりはじめてから、あっという間に2年が経った。それは、人の習慣を変えるには充分な期間だったように思う。
外出時にマスクを忘れることもなくなったし、検温や消毒のわずらわしさも、もうあまり感じなくなった。あの頃はあんなに嫌で、あんなに気落ちしていたのにと思うと、不思議な気持ちになる。
医療現場で働くわたしは、新型感染症が流行してからずっと不安だった
2年前の冬から春にかけて、わたしは不安で仕方がない毎日を送っていた。医療職だったのだ。
マスクの徹底や外出の自粛など、ニュースが様々なことを報じていくのに先んじて、病院では新しいルールが次々と生まれていった。入院患者の面会、外出禁止。1日に何度か行う、職員の検温の徹底。資源が不足するようになってからは、それまで至る所に置いてあったマスクが回収され、配付制になった。
医療物品の在庫はどんどん減り、消毒液だけでなくトイレットペーパーさえ足りなくなっていく世界に、おそろしさを感じていた。
患者にも職員にも当然不満がたまったが、心は後回しだった。今大事なのは、生きていること。傷ついていく心のことは、後で考える。
不平不満がたまる患者さんにさえ、感染リスク軽減のために会話を減らして対応する日々で、無力さを感じたまま時間が過ぎていった。
病院で働いているということを自覚し、行動を自粛しなさいという病院側の方針は、もっともだった。当然わたしも、友人や彼と、会うのをやめた。
緊急事態宣言が出て、より制限が厳格になってきた頃、日用品の買い物も控えるようにという動きになった。買い物は家族に頼むか、ひとりで住んでいる人はネットスーパーを活用するべきと言われた。
買い物もままならない状況のとき、彼の優しさが嬉しくて涙が出てきた
当然だが、ネットスーパーを受け取る時間には制限がある。仕事も不規則で、なかなか活用しはじめられないわたしに、ある日彼は言った。
「俺もまとめ買いしてるから、一緒に買っておくよ。それで、仕事帰りに、家の前に置いておくね」
正直、すごく嬉しい言葉だった。
でも、それに頷いて良いのか分からず、わたしは迷ってしまった。必要なものを買ってきてもらったって、いつかは尽きる。どうせひとりでなんとかする術を考えないといけないのだ。そう考えて、彼にはやんわりと断った。
けれど、普段から温厚で、大抵のことはわたしの希望を通してくれる彼が、めずらしく言い張った。
「そろそろお水とか尽きるだろうし、とりあえず届けるよ。ほしい物リストアップするのが、なっちゃんの宿題ね」
迷いに迷って、それでも確かに、買い溜めていつも飲んでいる2リットルのペットボトルがもうなくなることも分かっていて、申し訳なさと切実さを比べて、彼に「ありがとう」と言った。
玄関の前に置いてくれた袋を家に入れて、中のものを1つずつ出していく。
おねがいした水や食材、果物の間に、お菓子がたくさん入っていた。
おもちゃ入りのチョコエッグ、駄菓子コーナーに置いてあるような小さなお菓子、チョコエッグ、プリン、ゼリー、チョコエッグ。
お菓子がこんなに!おねがいしてない!と笑えてきて、チョコエッグの箱を積み上げて写真を撮って笑っていると、iPhoneの着信音が鳴った。
彼だった。
「チョコエッグこんなに買ったの?」と言おうと、すぐ通話をタップする。
「俺とおしゃべりしたい人ー!」と、おどけた彼の声が聞こえた途端、たまらなくなって笑って、こっそり泣いた。
「毎日頑張ってるからご褒美ね」と笑う彼に、「こどもじゃないんだから!」と言い返しながら、嬉しくてたまらなくて涙が出た。
「頼ることができる人」がいることは、わたしを強くする
誰かを頼ることは、ときにすごく勇気がいる。頼り過ぎて共倒れになったら意味がないし、頼ることと依存することは紙一重で、大事な人だからこそ、あれこれ考えて躊躇してしまう。
でも、手を伸ばして、その手をすくいあげてもらえたとき、こんなに嬉しいことはないなと思う。頼ることができる人がいることは、わたしを強くするなと思う。
翌日、休み。久しぶりにキッチンに立った。これを一緒に食べれたらなあとは思うけれど、でも、今のわたしは強い。
君が買ってきてくれた食材で、わたしは今日も、満腹になる。作って写真を撮って、「いいなー!食べたかった!」と言ってもらおう。そしてまた、「ありがとう」を言おう。「助けてくれてありがとう」を。「これからも頼らせて」と、言ってしまおう。
そうして、わたしはもっと強くなるのだ。