私の家のトイレには本が置いてある。それは漫画だったり雑誌だったり小説だったり、時期によってラインナップが変わる。この“トイレ読書”の風習がいつから始まったかあまり覚えていないが、「あの本結構良かったよ」「あの漫画読んだけどよくわかんないね」などと家族内の会話に持ち上がることも多い。
今から5年前、母が「あんたのことみたいだったから、トイレのあの本、読んでみなよ」とすすめてくれたのが、向田邦子さんの『手袋をさがす』だった。たしかムック本に収録されていたと思う。
当時の私にとっての向田さんは、なんとなく名前だけ聞いたことがある昔の作家、というふわっとしたイメージ。素直にうん、というのがシャクだった私は、しぶしぶ読み進めていった。
他人事とはとても思えないエッセイに自分の姿を投影するように
「手袋をさがす」は、向田さん自身の体験談をもとにした短編エッセイだ。
若い頃、気に入る手袋がないならはめない方がまし、と意地を張っていた向田さんのエピソードから、彼女自身の半生を内省した内容になっている。
読み進めるうちに、私はとても他人事とは思えずのめり込んでいく。
当時の私は就職活動がうまくいかず、人生の路頭に迷っていた。希望している業界からは内定をもらえず、かろうじて二次募集でもらえた内定先に行くかを悩んでいる時期。
理由もわからず落とされ続ける就活に心が擦り切れ、せっかく内定をもらえたのだからここに決めて就活を終わらせるか、思い切って一年引き延ばして再挑戦するか。落とされることで自身を否定されたような気持ちになり、自分だけ内定をもらえないことへの劣等感や焦りが強くあった。
そんなときにこのエッセイを読んだ私は自分の姿を投影しやすかったのだろう、すっかり感化されてしまった。
昔から頑固で好き嫌いがはっきりしていた私。自分がこだわる部分においては妥協したくない、わがままな一面が確かに私にもあったのだ。
エッセイの姿勢に自分自身が重なっていく。決意したのは就職浪人
周囲からわがままな性分をたしなめられながらも、「これが私だ」と開き直って突き進む向田さんの凛とした姿勢が、頑固な自分に重なる。「今、ここで妥協をして、手頃な手袋で我慢をしたところで、結局ははめないのです。」という一文は、当時の私が置かれた境遇にもいえることで、とても深く刺さった。
自分が納得していなければだめなのだ。今もらっている内定先に決めて、一時的に周囲と足並みをそろえて就職できたとしても、自分が本当にやりたいことではない、と引っかかり続けるのではないだろうか。
エッセイを通じて自身を振り返った私は、結局就職浪人を決意した。
もう一年就活をしてみたからといって自分自身が大きく生まれ変わることはなく、次の年も相変わらず数多くの企業から“お祈り”を食らうことになる。
しかし二年目は、結果に落ち込むことはあったが、「自分が納得するためにもう一年やっているのだ」と多少の開き直りが生まれるようになった。
たとえ今年の就活が全滅したとしても、あのとき適当な会社に入るよりは、今この二度目の就活をやりきった方が絶対に自分の精神衛生上よい、ということだけは確信していた。
わがままを貫く戦いは圧倒的完全勝利を収め、「欲しい手袋」を手にした私
結果、私は行きたかった会社から見事内定をもらい、私のわがままを貫く戦いは圧倒的完全勝利を収めた。私を落とした数多くの企業の“お祈り”が通じ、欲しい手袋を手にしたのである。
エッセイの最後は「若い時に、純粋なあまり、あまりムキになって己れを内省するあまり、個性のある枝を(中略)矯めてしまうのではないか、ということを、私自身の逆説的自慢バナシを通じて、お話ししてみたかったのです。」と結ばれている。
そしてこの文章を書く私も全く同意見。エッセイを読んだ人が次なる“逆説的自慢バナシ”を語り継いでいける、最強のエッセイ。
私の人生にはまだまだたくさんのわがままを貫く戦いが待ち受けているが、この一冊を携えて、私はもっと強くなって、立ち向かっていける。