わたしは昔から運命論をめちゃくちゃに信じている。
といっても、夢見がちな可愛らしいものではなく、自分の身に起きた良かった事悪かった事全てを「そういう運命だったんだな」と思うという事で、この話を知り合いにしたら「それは諦めでは?」と言われた。
そんな事を言われようともわたしは頑なに運命だと信じているし、これからも信じ続けていく所存なのだが。

迷惑と伝えても懐いてくるその人。これも運命だと思っていたけど

少し前、知人の紹介でちょっと面倒な人と知り合った。
どうしてわざわざそんな言い方をするのだろう?どうしてそんな事をするのだろう?というような人だったのだが、何故か大変懐かれてしまった。大変困った。
その人の家とわたしの職場が近い事が知られ、時々仕事終わりに声を掛けてくるようになった。
結構しっかりはっきりと迷惑だと伝えるが効果なし。
人に言うのも憚られるので、何も伝えずなるべく誰かと一緒に帰るようにした。その人はなかなかの人見知りだそうで、誰かといると声を掛けてくることもなかった。
幸いな事に自宅も連絡先も知られていなかったので、いつもどおり「まぁそういう運命だし、どうせそのうち終わるだろう」と特に重視していなかったのだが、とある日、なんだかどうしてもダメな日があった。

朝起きたい時間に起きられなくて、化粧も上手くいかなくて、いつも通る道は通行止めで、迂回した先に路上アーティストの人集りがあって通れなくて、忘れ物もして、仕事もミスって、なんかもう何をやってもダメ。
今日の帰りにその人に会ったりなんかしたら、というか見かけただけでももう耐えられない。そんな日。

申し訳ないと思いつつ、後輩に一緒に帰ってほしいとお願いした

そんな日にたまたまシフトが被っていたのが、ある後輩の男の子だった。
上がり時間が一緒だったので恥を忍んで、頼むから駅までだけ一緒に帰ってほしいと伝えると、きょとんとしながら快諾してくれた。
申し訳ないがこれも運命だ。

ふんわりとだけ説明をしながら駅まで歩く。
さぁ帰ろう!となってから聞いたのだが彼は自転車通勤で、駅とは反対方向に帰るらしい。職場から駅までは歩いて数分なので「え、別に良いですよ。そんな変わらないですし」と言ってくれたものの、駅に向かう前に駐輪場までちょこちょこついて行っている訳で、異性の先輩と数分でも二人でいるのは気まずいだろうなぁと思うと、ただひたすらに申し訳なかった。
あとこれは彼には伝えていないが、その日は駅前の交差点に『その人』がいるのが見えたので、お願いして本当に良かったと安堵したし、ヘラヘラ話しながら帰ったので『ダメな日』が『ちょっと調子悪かった日』くらいには格上げした。

あの日彼を頼ったのは本当にたまたまだったけれど、それも結局運命

あの日だけのお願いのつもりだったが、その後も上がり時間がかぶる時は「今日は大丈夫そうですか?」と聞いてくれた。
でもさすがに事情を知っているから放っておく事もできないんだろうなぁ、可哀想な事をしてしまったなぁ、と思っている。可哀想な運命だったのかもしれない。
別れ際に毎回決まって、
「気を付けて帰ってね」
と伝えると、
「いやこっちの台詞なんですよ」
と半笑いで返される。
結局、今現在、問題は解決していないし、更に色々あって業務に支障が出てきたのでさすがに上司に伝えて数週間のお休みをいただいた。有給も余っていたので丁度良く、不労所得の疑似体験みたいな生活をしている。

元来楽観的な性格なので、懲りずにまだ「これも運命だな〜」と思っているし、多分もっと大きなトラブルになったとしてもそう思うのだろう。
わたしの職場は良い人が多い。というよりも、正直、良い人すぎる人が多い。
良い人すぎて、ちょっと困った話をすると、心配されすぎてしまう。上司もすごくすごく、申し訳ないくらいに心配してくれた。
そんななかで彼は物事を重く捉えすぎず程よく話を聞いてくれるような人で、あの日彼を頼ったのは本当にたまたまだったけれど、それも結局運命だったのだろうな、と思っている。