嗚呼、会いたいです、会いたいです。大好きなおばあちゃん。
もっともっと、大好きだと伝えたかったです。
高校のとき、悲しいことがあるたびに、祖母の家へ泊まりに行った。隣の市とはいえ、電車を乗り継ぎ山を越えねばならない僻地に祖母の家はあった。
電車に揺られながら本を2冊は読み終えてしまうくらい遠いけれど、それでも祖母に会いさえすればどんな嫌なことでも辛いことでも忘れられて、私はとても元気になれるのだった。
無条件に愛してくれた優しい祖母。いつだって私の味方でいてくれた
人の美点をよく見出して気配りのできる、素敵なひとだった。
そしていつだって私の味方でいてくれるひと。唯一、無条件に私を愛してくれるひと。
私が家や学校でどんなに否定されることだって、誰も褒めてくれない些細なことだって、祖母は肯定して褒めてくれた。
「それは皆が分かってないだけやで。本当はいおちゃんはすごいんやもの。おばあちゃんは知ってるで」
「いおちゃんはいつも可愛いなあ」
「偉いなあ。さすがやわ。よう頑張ったね、これからも応援してるで」
今でも優しい祖母のことを思い出すたびに涙が出る。
祖母の家から最も近い駅に着いて、迎えに来てくれた祖母の姿を見るだけで、私は救われた。そして「よう来てくれたねえ」とやわらかな口調で言ってくれる祖母の笑顔を見れば、「会えたら聞いてもらおう」と思っていた嫌な出来事は全部吹き飛んで、今祖母といられるこの瞬間を大切に過ごそう、と毎回思っていた。
そして祖母の作ってくれたご飯を食べて、隣に床を延べて眠るとき、私は心の底から安心できたのだった。
常に張り詰めていた何かを優しく溶かしてくれる大切な存在、それが祖母なのだ。祖母といるときだけは、変に周囲を気にしたりせず、自分らしくいられたのである。
祖母が癌で逝去した。祖母の苦しみに気付けなかったことを後悔した
そんな祖母が、高校三年の夏の終わりに逝去した。癌だった。見つかったとき、癌はもはや手の付けようのないほど転移していた。
祖母は、想像も絶するような痛みと戦いながら、私などの相手をしてくれていたのだと知り、とてつもない後悔の念に苛まれた。なぜ祖母の苦しみに気付けなかったのだろう。自分の苦痛だけを訴えて。
最後まで、祖母は絶対に「痛い」「苦しい」と言わなかった。週末お見舞いに行くたび「今日も来てくれてありがとう」と言ってくれていた。なんと気高く美しいひとなのだろうと心から思った。
それに、看護師の方々には事ある毎に私を自慢の孫だと話していてくれたらしい。廊下ですれ違う看護師の方には、たびたび「おばあちゃん、素敵な人やね」と言っていただいた。
美しい祖母のように、私もなりたい。たくさんの幸せと愛をありがとう
そんな美しい祖母のように、私もなりたい。
祖母を喪ってから心の拠り所が無くなってしまった私だけれど、祖母との思い出を大切にして、これからも自慢の孫であり続けたい。
おばあちゃん、大好きです。大好きです。大好きです。
私にたくさんの幸せと愛をくれてありがとう。私はおばあちゃんの孫として胸を張って、今日も元気で生きてゆきます。