拝啓 親愛なるお姉ちゃんへ

お元気ですか?毎日お仕事、本当にお疲れ様です。
風邪など引いてませんか?最近とても寒いので、身体に気をつけてね。
私は毎日、元気に過ごしています。ご飯もたくさん食べて、雪道を滑っても転ばないように気をつけながら、仕事に行っています。お姉ちゃんのおかげで、私は今ここに生きていられるのだと思います。
本当にあの時はありがとう。

ストレスからめまいと耳鳴りがして、何度もビルの上から下を見ていた

前の職場にいた頃、気がつくと私はおかしくなっていた。
前兆はあったのだ。ある時から休日はベッドから起き上がれないほど身体がだるくなっていたし、しばらくすると仕事中にめまいや耳鳴りが出てきていたから。
前にも耳鳴りとめまいで耳鼻科にかかったことがあったから、耳鼻科の病院で検査をしたけど、異常はみられなくて、お医者様から一言、「ストレスかもしれませんね」と言われた。

それから1か月後くらいに私の感情が壊れて、めまいも耳鳴りもひどくなり、吐き気も出てきてどんどん体重も減った。このままではいけないと、心療内科というものにも初めて行った。
安定剤というものも服用したけれど、そうでもしないとまるで身体が正常に作動してくれなくなった。それでも最低限、仕事はしていたつもりだった。
当時の私は仕事ができなければ、もはや不要な人間だと心のどこかで強く思っていた。どんなにひどい状態でも働かなければ、生きている意味がないと強く思っていた。

そして、そのうち生きているのがしんどくなった。
当時の仕事場は9階建てのビルの8階フロアにあり、毎日帰る時にいつもエレベーターを待ちながら下を見て、ここから飛び降りたら楽なのかなぁとぼんやり考えていた。
人が歩いていたらぶつかってしまうから、人がいない時がいいとも考えていた。
今日も人がいるからダメだ。また今日も人が歩いている。また今日も……。何度もそう思いながらエレベーターを待っていた。

昼休みに姉に電話して声を聞いた瞬間、涙が出てきた

そんな頃、秋晴れのある日に何がきっかけだったのか忘れたけれど、お昼休みに姉に電話をした。姉の声を聞いた途端、無性に泣けてきて、「なんか電話してごめん、急に泣いてごめん」って言った。
姉は「気にしなくていいよ、頑張ってるんだね」と言ってくれた。
私はその時まで姉には心療内科に行っていることも安定剤を服用していることも話していなかったから、ひどく驚いたと思う。それまで聞いたことがないような優しい声で「どうしたの?話聞かせて」と言われた。
誰かに対して今の自分の状況を初めて説明したし、自分以外の他人に「生きるのが辛い、しんどい」と話した。

物心ついてからそれまで、生きるのがしんどい、めんどくさいと感じることはあっても、誰かに、ましてや家族に伝えたことはなかった。
自分を大切に思ってくれている人に、自分に生きていてほしいと思っていてくれる相手にそんなことを言って心配をかけたくないと思っていた。
私がもし大切に思っている相手からそれを打ち明けられたら、とてもショックを受けると思っていたから。大好きだから、大切な人だから、だから言えないとずっと思っていた。
その時も生きるのが辛いとは言うつもりはなかったのだけど、「なぜ、そんなに泣いているの?」と聞かれ、心から心配していることを感じて、正直に伝えた。

姉は私の言葉を丸ごと受け止めて、一言「今日、泊まりに行くから!」と言った。「話してくれてありがとう」とも。
「お姉ちゃんもお仕事あるんだから、今日無理してこなくても大丈夫だから、私だって死ぬ勇気ないし」と言っても全く聞く耳を持たず、その日の夜、姉は本当に私の家に来てくれて、泊まっていった。

夜ごはんを一緒に食べながら、「もうリラルリは充分頑張っているんだから、休んでいいんだよ」と言ってくれた。私が「働けなければ生きている意味がない」と言うと、一言「生きているだけでいい」と言ってくれた。
その瞬間、私は休もうと思えた。私はもう充分頑張ったのだと思えた。
それから2週間後、私は退職届と共に診断書を出して会社を休んだ。辞めるまで、もう2度と出社することはなかった。

お姉ちゃんのおかげで、私は今も生きていることができました

あれからあの頃のことを思い出すことがあるけれど、あの時、姉がいなければ、姉に「生きていたくない」と言えなければ、私は今ここにいなかったような気がする。

最後に、お仕事はほどほどにしてね。また中華街でもどこでも一緒にお出かけしようね。
お姉ちゃんのおかげで、私は今も生きていることができます。あの時、お姉ちゃんを頼って良かったです、話を聞いてくれてありがとう。お姉ちゃんがいてくれて本当によかったと思っています。
お姉ちゃん、本当にありがとう。ずっと大好きだよ。私もお姉ちゃんが生きていてくれるだけで幸せだからね。

敬具