祖母が死んだ。
認知症だった祖母は、特別養護老人ホームに入居していた。祖母の近くにいる親戚は私と母のみ。母は葬式当日しか休みが取れず、私が前日に墓石掃除や親戚を迎える準備をすることになった。
お彼岸やお盆の時期には墓参りに行っていたが、花と水を交換するだけできちんとした墓石掃除はしていなかった。
葬式前日に墓石を目の前にして、こんなに汚れていたのかと呆然とした。
友達にLINEを送りつつ、墓石をひとりで2時間半かけて掃除した
水を入れたバケツ、雑巾、ブラシを用意して、掃除を始めた。
こびりついた汚れはしぶとかった。擦っても擦っても、どんどん汚れが出てくる。水で流せば、泥水が流れる。それをひたすら繰り返した。バケツの水を入れ替えるために、墓地内の水道へと何往復もした。
1人墓石を前に膝をつき、無心に雑巾で磨く間にも、多くの墓参りのひとたちが用を終えて帰っていく。墓掃除を始めてから既に1時間半経っていたが、まだ終わらない。
その場に座り込み、友だちにLINEをしてみた。「祖母のお墓掃除中なんだけど、全然綺麗にならない!なんなんこれ、やばい」
仕事中はすぐに連絡は来ないだろうと思い、掃除に戻った。
親戚は遠くで暮らしているため、普段この墓に墓参りに来ることはない。私と母以外が来るのは、祖父が墓に入った時以来だろう。
核家族化が進む中で、手入れの行き届かない墓は増えているに違いない。墓仕舞いをして、共同墓地にするひとたちがどんどん増えていくのだろうか。今磨いている墓も、そう遠くないうちにそういう運命を辿るのかもしれない。
そんなことが、頭をよぎった。
100点満点とはいかないが、及第点が出せる程度には墓石を綺麗にすることができた。スマホで時間を確認すると、2時間半が経っていた。
連絡した友だちから返信がきていた。そこには労いの言葉と、手伝いに行こうかと提案があった。それを見た瞬間、心があったかくなり、疲れが軽くなったように感じた。
ああ、わたしは誰かに助けを求めていたんだなと気づいた。
家族の問題だから、家族で解決しないといけない。それでも私が求めていたもの
急に祖母を亡くし気持ちの整理もつかず、泣くことができていなかった。葬式の手伝いをしてくれる親戚は側におらず、1人でやるしかない状況は、予想以上に心を弱らせていたようだ。
家族の問題だから、家族で解決しなきゃいけない。動ける身内がわたししかいないのだから、多少大変でも仕方ないと思う一方、誰かに助けてほしかった。手伝ってほしかった。頑張ってるねと褒めてほしかった。
誰かに手を伸ばし助けを求めることが、歳を重ねるにつれて苦手になっていたのかもしれない。大人だからこのくらい自分でなんとかしなければ、なんとかできるはずだと思い込み過ぎていたようだ。誰かの助けなしに生きていくことは不可能だ。
だったら、毎日でも誰かに助けてもらいながら生きるのもいいなと思った。言葉ひとつでこんなに助けてもらえるのだから。
友だちには感謝を述べ、ひと段落ついたらご飯を食べに行こうと誘った。「トンカツが食べたいな、私を労っておくれ」と。
墓石掃除は終わったが、まだ私のやることは残っている。買い出しのために、軽い足取りでスーパーに向かった。