大人ってなんだろう。私は大学生なので、ちょうど大人と子供の中間みたいな位置にいる。
20歳を超えたら大人?就職したら大人?それとも、経済的に自立したら大人?
人によっていろんな定義はあるだろうし、他人への形容詞として「大人っぽい」「子供っぽい」と言ったりする。

大人は器が大きくてなんでもできる、完全無欠な人間だと思っていた。

私はまだ小さな頃、大人に対して結構メルヘンなイメージを持っていた。
大人ってなんでも自分でできて、ジブリ作品の中の人みたいにしっかりしていて、器が大きくて子どもに優しい。そういう完全無欠の人間をイメージしていた。
でも、もちろん現実は違った。むしろイメージ通りでなくてよかったと思った。

私の大学は医療系で、いろいろと資格がとれるので、20代後半や30代といった、いわゆる「社会人」の人たちも多い。いったん別の仕事をしてから、また学生に戻った人たちだ。
高校生まではひとつ歳が違えば先輩後輩なので、5歳も10歳も年齢の違う人たちが同級生というのは新鮮な体験だった。

始めは緊張して敬語になったりしたが、一緒に過ごすうちに自然と仲良くなった。そして、普通に話をしていると、「あれ?なんか意外と壁がないような気がする。私たちとあんまり変わらないのかな?」と思うことが何度もあった。

もちろん相手は世の中を一度見て、社会の荒波を経由して、さらに人生の軌道変更までしているのだから、経験値が違うのは確かだった。
だけど、人間的な中身までは、話してみるとそんなに大差ない気がした。
歳の差があっても、互いの恋の話には興味津々だし、怖い教授は大人でも怖いし、課題が多いとげんなりするのは一緒らしい。
30歳になっても料理が苦手だとか、ファッションに迷走しているとか、ゲームがやめられないとか、私たちの年代とも共通するような悩みを普通に抱えていて、それをあっさり話してくれた。
共感できる話題に花を咲かせたりするうちに、気が付けば、相手との歳の差なんて考えなくなっていた。生まれた年がひとつ違うくらいで敬語になったりする高校時代が、なんとなく狭い価値観でできたもののように思えた。

大人だって間違うこともある。歳の離れた同級生たちが教えてくれた

もちろん社会人を経由した人たちも、5歳も10歳も下の子たちに向かって、本気で感情的になったりはしないのかもしれない。適当に話を合わせてくれているのかもしれないし、結婚や親の介護などの話は、する相手が違うのだろう。
だけど私はこの経験を経て、大人との距離感が、少し縮まったような感じがした。それに、いくつになっても、立派になんてならなくていいんだと、どこかほっとすることができた。

20歳でも30歳でも、大して変わらなくていい。大人だって、誰にでも欠点はある。間違うこともある。
いろんなことに悩んだり怖がったり泣いたりしていいんだと、歳の離れた同級生たちが教えてくれた気がした。

大人らしく、よりも自分らしく。自分の感性を大切に生きていきたい

日本に生きていると、教育でも部活などで上下関係を重んじる学校が多いと思う。仕事をするにも新卒制度があったり、年齢制限が厳しかったり、ちょっと年齢でいろいろ決めつけすぎている感じがある。私もはじめは、完全にその価値観に染まっていた。

だけど私も休学してしまったので、これからは歳がひとつ下の子たちと接する機会が増える。ちょっと緊張するし、敬語を使われることも増えるのだろう。
だけど、これもまた新鮮で、いろんな学びをもたらしてくれる体験になるような気がする。短い学生生活の中で、年上とも年下とも同級生になれる体験は、そうそうない。

そして、私たちはきっと、いくつになっても、「大人」という言葉にとらわれすぎなくていいのだと思う。
大人らしく、よりも自分らしく。背負う責任や社会での役割が増えていくなかでも、自分らしい感性や感情を大切に生きていきたいと思う。