「私、30になったら大人になると思ってたけど、現在28歳にして何も変わってない……いつになったら大人になるのかなぁ」
一年歳をとる毎にそんな台詞を口癖のように呟く先輩がいる。
それを聞く度に私も自らを振り返る。
「大人」って、なんだろう?

年上の彼とのつきあいのなかで、「大人」というイメージが膨れ上がった

大人との距離感を強く意識したのは、昨年までおつきあいをしていた彼との出会いだ。
私が21歳という絶賛モラトリアム大学生をしていた頃にネット上で出会った当時27歳の彼(おつきあいをしたのは私が23歳の頃から)。年齢差もあり、当初から彼に対して大人だと距離を感じることはままあった。

おつきあいを始めたのは私が社会人になってから。しかし大学生から社会人になったところで急に大人になるわけもなく。考え方の甘さなどから彼に厳しい指摘を受けることもあり、当時彼に対する「大人」というイメージがどんどん膨れ上がっていた。
逆を言えば、彼に相対する私があまりにも子どもに見えて、自己嫌悪に陥ることが多くなっていたのである。
それもそのはず、彼は法律に係る資格の仕事をしており、遅くまで仕事に勤しみながらも日々勉強をし、自分を高めることに余念がない、立派な人だった。

彼に比べて日々大きな目標を持つわけでもなく、ただ日々を浪費することに、私は自分を子どもだと感じて焦っていた。
どれだけ頑張れば、勉強をすれば、彼の横で胸を張って立てるだろうか?
どうすれば彼に認めてもらえるだろうか?
今考えれば愚かで可愛らしい考えだけれど、当時の私は必死だった。

彼は「大人」、私は「子ども」。「大人はこうあるべき」と自分を苦しめた

日々を過ごす中で、彼のことは「大人」、私のことは「子ども」だと、基準も明確でないままに自分の中で勝手にラベルづけをしていた。
さらに悪いことには、大人とはこうあるべき、と自分に強いることによって、逆に彼の子どもの部分を私が許せなくなってしまったのである。
彼の隣に立てるよう、一生懸命に勉強をし仕事に打ち込む私の傍ら、彼はもちろん自分の好きなことも楽しんでいて、子どものような無邪気な一面を見せることもあった。
しかし当時の私は、それが許せなくなっていた。
私に厳しいことを言うのに、自分は子どものように振る舞うなんて……と、今思えば理不尽な怒りが噴出してどうしようもなかった。
彼のために生きる私と、自分のために生きる彼。
大きく違ったところはそこだと今は思う。

彼との出会いは、私の考え方が大きく変わるきっかけとなった。
大人という概念はとても曖昧だ。成人したら大人なら20歳以上は全員大人だし、自分で稼いで自由に使えるお金をもつことを大人の条件とするのなら、10代でも大人はいるだろうし、40代でも大人でない人はいるかもしれない。

彼との出会いが気づかせてくれた、自分自身を受け入れ生きること

彼と過ごして、彼に近づくことが大人になることだと思っていたけれど、彼のために生きて彼の承認で自分を認めようとする私は、そこに気づかなければ永遠に誰かに依存し続ける子どもを彷徨っていたのではないかと思う。

私の中での大人の結論は、「人に迷惑をかけない」こと。自分が行ったことに自分で責任を取るという覚悟があることとも言える。
先ほど彼が自分のために生きていると書いたが、彼はありのままの自分を受け入れて生きていた。子どものような考えをする自分も、大人として生きている自分も全て認め受け入れ、自分が幸せであるために生きていたのだ。

私はどうだったろう。子どものような考えをする自分を否定し、大人として生きなければと自分に苦を強い、さらにはそれらを認めることを他者に求めていた。
良い悪いではない。私は私なのだから、どんなところも自分自身がまず受け入れて、そんな自分とともに生きる覚悟をすることが第一歩なのではないだろうか。

彼との出会いは、それを気づかせてくれた。
今、彼ともう会うことはないが、本当に感謝している。彼が私に贈ってくれた言葉は沢山あるが、皆さんにこの言葉をお伝えしたい。
「僕は君を愛している。僕が愛している君のことを、君自身が好きになってくれることを切に願うよ」

自分を愛して2本足で立てることを、大人になったと言うのかも

きっと貴方のご両親やご友人も、貴方のことを大切に想っているのではないかと思うのです。誰も貴方を傷つける権利など持ってはいないのだから、貴方自身が貴方のことを、世界一愛してあげてほしいなと思います。もちろん私にも言えることだけれど。

そうして自分を愛して2本足で立つことができたことを、大人になったねと言うのかもしれない。
今は大人との距離感というものを感じることはない。彼は彼で私は私。社会人として大人を生きているところも、子供っぽくてしようもないところも、等しく私として慈しみたい。一番長く私と生きるのは私なのだから、自分を生きることをこれからも楽しみたいと思う。

最後にこの場をお借りして、私が愛せていなかった私を懸命に愛してくれた彼に、感謝の言葉を捧げたい。