私は23歳の大人だ。映画も電車も大人料金だし、国民年金だって払っている。大学も卒業して社会人1年目の立派な大人だ。きっと。
親はいつまでも子ども扱いする。23歳の私はきっと大人だ
それでも親はいつまでも子ども扱いをする。
お金は足りているのか。ご飯はしっかり食べているのか。将来のことは考えているのか。実家に帰る度に言われる言葉。
親にとって何歳になろうと、子どもは子どもなのだと思う。もう大人なんだから子ども扱いしないでよと思う。
それでも、母の作ったご飯を久しぶりに食べ、父が買ってきたおいしいお酒を飲み、いつの間にか沸かしてあるお風呂に入る。私が子供の頃にしてもらっていたことと同じこと。
変化はジュースがお酒になったくらい。子ども扱いもなんだか悪くないなと思いつつまた一人暮らしの家に帰り、社会人として会社に行く。
大人って何なのか。20歳を超えても、大人の自覚はまるでなかった
大人って何なのか。世間一般に言われている「20歳」。20歳は幼いころの私にとって遠い、遠い存在だった。それになんだか、かっこいい。お酒を飲んでいる姿に憧れたし、スーツを着て会社に向かう姿は戦闘服を着て戦いに行くスーパーマンに見えた。
でも実際は違った。私が大学生の時は20歳を超えたからといって大人の自覚はまるでなかった。お酒が飲めることに喜びを感じ、悪いことをして捕まったら名前が公表されるねと友達と冗談を言う。その位しか変化がない。
それもそうだ。世間の多くの20歳は大学生だ。20歳の時にもうすでに働いていた友達もいたが、私とそんなに変わらない。
今では20歳になってから3年が経ち、社会人にもなった。それでも、お酒を飲んでいる姿はかっこいい姿ではないし、スーツは戦闘服でもない。もちろんスーパーマンではないのだ。
世間一般にもうすでに「大人」とされている私でも、こんな大人になりたいなと思う瞬間はたくさんある。
私の会社の上司で、「理想の大人」がいる。その方は仕事が早く、効率も良い、俗にいう「仕事のできる人」だ。1を言うと10理解してくれるし、私が慌てふためいていてもサポートしながら声掛けしてくれる。気配りも非常に上手である。そしていつもご機嫌で周りを明るくしてくれる、まさに太陽のような上司である。
私はこの上司と仕事をする度にこんな「大人」になりたいと思う。「大人」であるのにも関わらずだ。
「理想の大人」とはまるで違う私。だから私はまだ大人ではない
私は大人ではない。心の中で本当はそう思っている。もちろん社会人としての自覚と責任はある。はたから見ても立派な大人である。それでも、子どもの頃に思い浮かべていた「大人」とはまるで違う。
社会人でも怒られることばかりであるし、たまに実家に帰っても親に甘やかしてもらっている。お酒だって、子供の頃友達とジュースを飲みながら遊んでいたのがお酒に変わっただけで、話をして盛り上がる為の道具の一つに過ぎないのだ。
それに、私には理想の「大人」がいる。こうなりたいと思うということはまだ「大人」ではないのだ。そして、きっと経験を積めば積むほど、こうなりたいと思う項目が変化し、増え続けるのだ。
だから私は「大人」ではない。「大人」との距離感は全く変わらないままなのである。