『大人』って一体何なのだろう。
お酒が飲めること?社会の話ができること?夜遅くまで出歩けること……?
自分には到底遠くて、憧れはするものの、手が届きそうもない存在だ。そもそも、何が基準で『大人』になるのかもわからない。
でも、ファミレスで順番待ちをする時には大人の欄に人数を書いているし、切符はずいぶん前から大人用だし、こんなことからもう大人なんだろうなと思うような、そんな距離感を感じている。

ついこの間、わたしは成人式を迎えた。晴れてはたちになって、成人を祝っていただいたわけだけれど、これで大人になったと言っていいものなのか。
特にわたしは周りのみんなと比べても、最もお子ちゃまだと思う。全国の同級生のなかで一番『大人』から遠い人間だと思う。

迎えた成人式。同窓会で一滴もお酒を飲んでいないのは、気恥ずかしいから

中高一貫校を共に過ごした同級生が集う同窓会。居酒屋に行けば、みんなお酒を飲んでいる。4月2日生まれのわたしは、同級生のなかでは一番最初にお酒が飲めるようになるはずの人だ。
でも一滴もお酒は飲んでいない。お酒が悪いものとは思わないし、親の様子からしてそこまで弱くはないと思う。
飲まない理由は、ただ単純に飲む機会がなかったから、というのがはじまり。どうやら大学生というものは本来、友達同士や、サークル、ゼミなんかでも飲み会があるらしい。ただ、20年度、コロナ禍突入と同時に大学に入学したわたしには、まったくもってそんな機会はなかったけれど。
そんな言い訳を並べても、飲もうと思えば家でだって飲めるわけで、機会も作ろうと思えばないわけではない。未だに飲んでいないのは、いつまで飲まずにいられるか、もはや意地になっているところもある。
しかしそれ以上に、お酒を飲むのは『大人』という感じがしてなんだか気恥ずかしい。だから中学生から知っている同級生たちがお酒を飲んで酔っ払っているのを見て、ああ大人だなと感じたのである。それと同時に、自分は大人には程遠いのだなと感じた。

こんなこと『大人』でもなんでもなくて、本当に当たり前のことで、気恥ずかしいことなんかじゃないのかもしれない。でも、自称「全国No.1お子ちゃま」のわたしにとっては本当に大きな変化なのだ。
久しぶりに会った同級生がみんな大人に見えて、自分だけ置いて行かれたような気がした。なんだか驚いたし、さみしくて、『大人』との距離がもっともっと広がっていってしまった。

実家暮らしで、貯金は趣味につぎ込んでいる私。学生のうちはいいかな…

4年制大学に通う大学2年生。実家暮らし。ありがたいことに学費、食費、生活費、さらには家事までも全てが親頼み。バイト代は自分なりに貯金しながらも趣味のアイドルにつぎ込んでいる。
大学の同期のなかには学費を自分でまかなっている子、関西から上京してきて一人暮らしをしている子もいる。そんな子たちをえらいな、大人だな、と思いながらもわたしは親の脛かじりで生きている。もう少し自立しなくてはと思いながらも、中学生や高校生のときと同じくらい、いや、それ以上に甘えまくっている。
到底『大人』になんてなれやしない。『大人』までは世界一周しても足りないくらいの距離がある。自分に激甘な自覚はあるけれど、学生のうちはいいかなと言い訳を並べている。

お寿司のわさび、おでんのからしも、焼きそばの紅しょうがも食べられない。でも、18歳から選挙権は持っているし、お酒もタバコも合法。一体なにが『大人』なのだろうか。
一応『大人』の枠にいる、『大人』から一番遠いはたちが思うこと。