どこにいっても、最年少だった。
家族の中でも、親戚の中でも、幼馴染のお姉さんたちの中でも。さらには昔から体が小さいこともあり、何をするにも周りが世話を焼いてくれるというのが、わたしの日常だった。

末っ子体質の私は「まずい」と思いつつもぬるま湯に浸かっていて

特にわたしの世話を焼いたのは母と姉だ。二人は(未だに)わたしを何もできない子どもだと思っているところがある。
料理をしていると隣でじっと手元を見てくるし(怪我をするんじゃないかと思っている)、雑貨屋で割れ物を触っていると「気をつけてよ」と言ってくる(未だかつて、店の商品を壊したことは一度もない)。
げんなりとしながらも、それを逆手にとって上手く甘えている自覚はある。そしてそれを家族以外にも無自覚にもやっているから、周りも世話を焼いてくれるのだと思う。
多分、世間ではこういう人間を末っ子体質という。

そのおかげで、自分が社会的には大人と呼ばれる年齢である自覚が薄い。今年で27歳というか28歳になるというのに。
いやあ、まずいなあとは思っている。人間はいつまでも子どものままではいられない。分かっていながらも、ぬるま湯につかり続けていた。実家暮らしだし、周りは優しいし、今のところ特に困ったことはないから。

だけれどその変化は、思っても見なかった形でわたしの前に姿を現した。

26年ぶりに更新された最年少。母や姉からは突然大人扱いを受け…

昨年末、実姉が甥を産んだ。出産後はそのまま実家に帰ってきてしばらく療養することになっており、それを最初は「へえ、そうなんだ」と軽く受け止めていた。「まあ多少は生活が変わるだろうけど、そこまで大きな変化ではないだろう」と。
それが蓋を開けてみればどうか。

26年ぶりに更新された、家族の最年少。もちろん家族の最優先は甥へと変わった。甥を中心に家族は回り、甥の気分次第で家族は一喜一憂する。
ここ数年で作り上げた生活リズムは崩れたし、いつもより家の中に人が多くて落ち着かない。何より、これまであんなにわたしに世話を焼いていたのに、母や姉は「アンタはひとりでできるでしょ」と言わんばかりに、急にわたしを大人扱いしてくる。

二人姉妹の妹なので、下のキョウダイに親をとられて駄々をこねたことなんてなかった。むしろ姉と喧嘩をして母に泣きつくのは、いつもわたしだった。
赤ちゃん返りをする子どもの気持ちが、皮肉にも今分かる。子どもにかかりきりになって、夫の自分を構ってくれない男の気持ちも、きっとこれに似たものなのだろう。
つまりは寂しいのだ。もうちょっとわたしに構ってくれよ、と。

26歳児であることに気づいた私は、甥を守るためにも大人になる

正直なところ、自分で自分にドン引いている。家族の関心が自分から逸れたことで、こんな気持ちになるなんて想像さえしていなかった。むしろ「いつまでわたしを子ども扱いするんだ!」と内心で怒っていたはずだ。
「え、わたし、26歳児だったの?」という動揺で、わたしはさらに動揺させられた。確かに大人の自覚はないけれど、まさかそこまでだったなんて。

それでも、甥は可愛い。可愛くて仕方がない。
腕の中ですよすよと寝ている姿は可愛いし、潤んだ目でこちらをじっと見る姿も可愛い。小さな口で大きなあくびをしている姿も、顔を真っ赤にしてぐずって泣き叫んでいる姿さえも可愛い。
神様なんて信じてもいないのに「どうかこの子が少しでも辛くて悲しい思いをしませんように」と心の中で祈っていることもある。

そういうことを何度か繰り返した中で、ああそうかと腑に落ちたのだ。大人になるってこういうことなんだな、と。
身近にいる子どもの幸福を祈ること。でも祈るだけではきっと不十分なのだ。甥を守るためには、同じ子どものままではいられない。わたしは今のぬるま湯から抜け出さなければならない。

だから今年、わたしは「26歳児」を卒業する。大人になって、君を守る大人のひとりになろう。
それが「2022 わたしの宣言」。