バレンタインは毎年、年明けの行事が終わると同時に、近年ではほぼ同時にバレンタイン商戦がスタートしているように思う。
もうバレンタインに毎年「今年は何を友達に作ろうか」なんて、そわそわする年齢はとうに終わった私だが、毎年バレンタインの特集やスーパー、デパートの特設コーナーを通りすぎるたびに思い出すことがある。

18歳のころに付き合っていた、4つ年上の彼と迎えたバレンタイン

記憶は18歳のころに引き戻される。当時、推薦入試で希望の専門学校への入学が決まっていた私は、高校卒業までの数か月を思う存分謳歌していた。
それは恋愛も一緒で、その頃は、4つ年上の彼氏が私にはいた。私の一目惚れで始まった恋は、私の猛アタックにより「彼女」というポジションに無事に収まることができた。

付き合って初めてのバレンタインであり、18歳の私にとってはいわゆる本命チョコを好きな人に渡せる一大イベントで、お菓子作りが得意でない私はバレンタイン前後のデートまでそわそわして過ごしていた。
当日渡すお菓子は、クッキーにした。バレンタインといえばチョコレートだが、私のお菓子作り技術ではクッキーのキットを使って作ることが、失敗しない最善策だったように思う。
焼きたてのクッキーを、ハートがちりばめられたラッピングに包んだ。

私は彼に「可愛い」と思ってもらいたくて、必死に何かを取り繕っていた

デート当日、待ち合わせは押上駅だった。彼おすすめのイタリアンが押上駅にあるとのことだったので、そこでランチをする予定から1日がスタートすることになっていた。
正直に言うと緊張とドキドキで全然味がしなかったし、なんなら食べきれず食べてもらった記憶さえある。
その当時の人生で、1番好きな人とデートでおしゃれなイタリアンなんて、普段サイゼリアで友達とひたすらドリンクバーで過ごしていた自分にはハードルが高すぎると思っていたし、彼に可愛いと思ってもらいたくて必死に何かを取り繕っていたように思える。

ランチを終え、2人で東京タワーへ向かったような気がする。気がするというのは明確に覚えていない。だが1つだけ覚えていることは、手に持ったクッキーをいつ渡すかということを移動の電車も、六本木周辺をぶらぶらしていた時もずっと考えていた。

気がつけば少し陽が傾きはじめた夕方、2月は少し陽が伸びてはくるがそれでも18時ごろにならないと夕陽は見えなかったと思う。東京タワー最上部のチケットを購入し、2人で上った。人はまばらだった。
しっかり夕陽が沈んでいくまで、ずっと窓ガラスを見ていた。その間もいろんな話をした。
彼の大学の授業のこと、フランス語の授業で私が大好きなディズニープリンセスの歌を勉強したこと、バイト先のこと、詳しく内容は覚えていないけど彼が話す全ては私の知らない世界でとてもキラキラして、私もこの人の話をずっと聞いていたいと思った。
これが恋の魔法なのかと、現在26歳の私は振り返りながら恥ずかしくなる。

夕陽が沈み始め、窓ガラスにオレンジの反射が強くなったころ、私は手に持っていたクッキーを差し出した。「これバレンタインの……」うまく目が見れなかった。でも、彼が微笑んでいたことだけはわかった。
「来年もこようね」。はっきりと覚えていないけど、それに近いニュアンスを覚えている。私は嬉しくて、世界で1番幸せな人間の顔をしていたと思う。感情が顔にすぐ出るタイプなので、誰がどう見てもそう映っていただろう。
沈む夕陽が本当に綺麗で、本当に最高の人生だと18歳の私は思った。そのまま手をつないで私たちは東京タワーを後にした。

好きな人に渡すクッキーのラッピングを裏返しにしてしまっていた

東京タワーを下りた私たちは、六本木の映画館で当時大流行していた「アナと雪の女王」を鑑賞した。劇場内は時間帯もあったかもしれないが、ほぼカップルだった。
映画の間も私たちは手をつないでいた。全然内容が頭に入ってこなかった。
エルサの歌う有名な歌だけはなぜか印象に残った。なぜ残ったのかは、この後、気づくことになる。
映画を終え帰宅した私のもとに、一通のLINEが届く。「クッキーありがとう。美味しかったよ。でもラッピング裏返しだったよwそれが君らしいと思ったよw」と。

やってしまったと思った。この世界で好きな人に渡すクッキーのラッピングを裏返しにしてしまうやつが私以外にいるかと思った。でも、彼が最後に添えた「君らしい」の一言に救われたような気もした。

ここまでが私のバレンタインの思い出だ。結論からいうとこの後、彼とはすぐに別れた。理由は私にあったのか、彼にあったのかは分からない。
だが1つ言えることは、私は彼に好きでいてもらうためにいい子でい続けた。今振り返れば、彼はクッキーのラッピングを裏返しにしてしまう私のままで良かったのかもしれない。完璧な可愛い彼女ではなく、不完全なありのままの私で良かったのかもしれない。

人生で1番好きでたまらない人とはうまくいかない。よく2番目に好きな人というが、あれは好きすぎると自分を失って本当の自分ではなくなってお互いが苦しくなるから、ありのままでいられる人が2番目くらいに好きな人という意味なのではないかと私は思う。

このバレンタインの時期になると、私はあなたを思い出す。最高に好きで好きでたまらなかった10代の恋愛。
でも、その思い出があるから、私はしっかり大人になれた気がする。