未知の国、キューバを自分の目で見てみたくて旅へ

5年前の冬、私はキューバに旅行へ行った。

キューバは1959年のキューバ革命以降、社会主義国家として歩み、アメリカとの国交を断絶していた。
しかし、2015年にアメリカがキューバ制裁緩和に踏み出し、54年ぶりに国交を回復した。
これをきっかけにキューバの文明が他国同様に進むだろう、と言われていた。
そんなニュースを見た私は、文明が進む前の未知の国、キューバをどうしても自分の目で見てみたかった。

実際に行ってみたら、社会主義国家が生み出す独特な雰囲気を感じた。
物質的には貧しいはずなのに、今までで行った国の中で断トツで陽気な国だった。
至る所から陽気な音楽が聞こえ、ラム酒を飲み、葉巻をふかせ、昼夜問わずサルサやルンバを踊る人びと。

サービス概念、お金の価値観。資本主義で育った私が見た印象的なこと

キューバで経験した中で、特に印象的だったことが2つある。

一つは、消費者のためのサービス概念がないこと。
キューバでは空港から市内までのタクシー料金は一律で決まっている。
宿泊先までタクシーに乗る際、どうしても節約をしたかった私はタクシー運転手に運賃交渉をした。
しかし、一切取り合ってもらえなかった。
そんな時運転手に「同じ行先の人を見つけて一緒に乗ればいいじゃん」と言われた。
サービスを提供する側は価格競争を行う必要がない。
この時、初めて自分が資本主義の中で横柄に生きてきたんだなぁ、とふと思った。
そしてその発想を面白く感じた私は、イギリスから来た男性に声をかけて一緒に市内まで乗った。
きっと運転手はお金に執着していないからこそ、あの発言をしたんだと思う。

二つ目は、そもそもお金を使う場所がないこと。
コンビニもなければマックもスタバもない。スーパーに行っても一つの食べ物につき一商品しかない。
チョコレートを選ぶのにも選択肢は一個。
wifiもほとんど通っていないので、ネットショッピングの概念もない。
キューバでは配給制度があるため、必要最低限の生活物資は国から貰える。
日本には選択肢がありすぎるからこそ、選ぶのに疲れてしまう。
資本主義には選べる豊かさがあり、社会主義には選ばない豊かさがあるんだと思う。

選べない、選ばない。そこから見える、お金やものの大切さ

キューバから帰ってきて、当時の私は5年後の2022年にキューバ留学をしようと考えていた。
私が今まで受けてきた教育も今ある仕事も住む場所もこのエッセイも、全て資本主義の中にある。
ただ社会主義に憧れただけかもしれない。 

それでも人生で1年だけでいいからネットもない、物もない、お金にもとらわれない生活をしてみたい。
wifiがないからみんなで会って話す。お金や物がないから今あるものを大切にする。
選べないからこそ、お金に執着する必要がない。
選ばないからこそ、今のものを大切にできる。
お金にとらわれず生きることができたとき、人の大切なものが見えてくるはず。
お金というものがなくなったとき、人は本当に自分が求めているものを見出せるはず。

いつか、資本主義国家の中で生きるのが疲れたら私はキューバに行く。
お金が私の何のためにあるのか、社会主義国家で見つけたい。