女子力にお金を費やすことを躊躇う私が、お金を費やしていたもの

私にはいわゆる女子力というものがない。ないというより、欲しいと思わないので、手に入れる気がない、といったほうが正しいだろうか。
服のセンスとか、流行もさっぱり分からない。自分に何が似合うのかも分からないし、そもそも、見た目だけで人を判断できるほど、単純なものではない、という考えが一貫しすぎている。

とはいえ、それなりに一般的な世界になじむために、最低限の身だしなみはしているつもりだ。しかし、元々、足の幅が広いため、自分に合う靴が見つからない。
レディースの靴はどうしてあんなに靴の幅が狭いものばかりなのだろう。
ヒールやブーツなど、なぜわざわざこんなに歩きにくい靴がこの世界にあふれているのだろうと思ってしまう。
利便性や快適性を重視するなら、最低でもスニーカーで十分ではないだろうか。おしゃれは足元から、とも言われるが。

こんな考えなので、女子会には誘われないし、友達も少ない。ブランドの話には付いていけないし、そこに費やすお金はどうしても躊躇してしまっていた。
ただ、それは私が「ランニングシューズ」に自分のプライドを持っているからとも言えるだろう。
私は走るのが好きだ。おしゃれな靴は履けないが、ランニングシューズを履いた時の自分は、強い。なんなら、男性陣でさえ付いてこられないくらいの走力を身に付けることが出来ているので、ランニングシューズを履けば、自分は、強くなれる。

コロナでお金を費やす機会が減り、興味のなかった化粧品を買ってみた

何にお金を費やすか、それは自由だ。私は、社会人になってから、走るために、マラソン大会にお金を費やしていた。今は、コロナで大会も開催されていないが、それまでのお金の使い方に悔いはない。
周囲の人は「なぜ、わざわざお金を払ってまで、走るのか」と、口をそろえて言う。たしかに、走ることは、楽しいことばかりではない、苦しいことのほうが多いかもしれない。
しかし、ゴールした時のほんの一瞬だけの達成感で、全てはチャラだ。あの一瞬の快感のために、お金を費やすことは、むしろ至福だ。そしてそれが、自分の自信にもつながる。
ランニングシューズを履いてこそ、自分は輝くことが出来る。

残念ながら、通勤スタイルにランニングシューズは合わないので、今はウォーキングシューズで通勤している。ヒールでもなく、ブーツでもなく、パンプスでもなく。せめて「シューズ」という名のついた履物を履きたい、という自分の変なこだわり。

コロナでマラソン大会がなくなってしまったので、私は、思い立って今まで興味のなかった化粧品に、少しお金をかけてみた。
するとどうだろう。ドラッグストアに売っている安い物を身に付けている時には感じられなかった「満足感」があった。自分でもびっくりした。
正直、見た目にはそれほど変わらないが、「高級品を使っている」という実感が、なぜか自分に自信を持たせてくれた。「ランニングシューズを履いた自分」のように、自分のプライドに自信を持てたような気がしている。

女子力を上げていくことにお金を費やすことも、自分が思っているより悪くない。というより、むしろ、新しい世界に飛び込んだかのような感動が待っていた。これは意外だった。

変化するこの世界で、変化を求めない選択をしていた私に訪れたのは…

この世界は、日々、変化していく。私は、変化を求めないことが自分を貫くことだと思っていた。しかし、ほんの少し高級化粧品を手に入れたことで、自分が変化していくことを実感した。
同時に、変化を恐れてはいけないと思った。世の中の動きに翻弄され、価値観が変わっていくことも、思っているより悪くないかもしれない。

もちろん、また、マラソン大会が開催されるようになったら、絶対に出場したい。けれど、やはり、それにだけこだわっていると、今回のように、コロナで大会がなくなってしまった時に、もう、頼るところがなくなってしまう。そうならないよう、バランスよく、お金を使っていけると良いのかもしれない。
まあ、不器用な自分がバランスなんて取れるわけがないのだが。

そんな感じで、わざわざ歩きにくい靴にお金をかけてみるのも、悪くないのかなと思ったりするが、やはり日常で、いつでも走りたくなるので、足をくじいてしまう危険性のある靴には、今のところ手を出さずにいる。
それよりは、今、流行りの厚底ランニングシューズが魅力的かな。