「わたしと『お金』」というこのテーマを書くつもりはなかった。激痛のアキレス腱炎を治したくて、専門の治療院に行ったのに、アキレス腱炎ではなさそうとか言われて「はぁ?」と思った今日だった。
往復2時間と1万3千円。帰りの電車で、私は3人掛けの椅子の真ん中に座った。
休日なのに座れるのが運のつきかな。揺られていたら、思いが文字に化けていた。

治療費を見てがっかりする。そもそも、生きるのにお金がかかる

アキレス腱に痛みが出たのは1週間前だった。久々のヨガが原因で翌日はまともに歩けず、やっと昨日から普通に歩けるようになったところだった。私、まだ20代なのに。

高校を卒業して運動をしなくなってから、身体がもろくなった気がする。いつもよりちょっと負荷がかかると翌日には痛みがでていて、接骨院とか整体院とかマッサージ店に行き、請求額にがっかりする。
「あぁ~、夢の国いけたのに」と毎回思う。20代の女子なら、エステとかメイクとか、デートとかに費やすものじゃないんですかね。

だいたい、生きることにお金がかかりすぎている。資本主義社会に不満をもっても無意味だけれど、生きるために働くのなら、死ぬために働かないのもありかななんて思うときもあった。
将来のことを考えだすと、もれなくお金はセットでついてきて、人生の生き方とか仕事とか、夢とかなんかもハッピーセットに詰め込まれているのだから、ホント面倒くさい。
今の職場を選んだのだって、資格を活かして給料がもらえてムリなく生活ができる妥協点だったのだから。

お金があるイコール幸せではない。今の私に必要なものは何なのか

電車のドアが開くたび、冷たい風が入ってくる。隣の人が立ったから、私は右側の席にずれた。スマホの時刻を見て、ついでに見えた日付に焦る。もう2月になったのか。
あのときはまだ夏だった。「やりたいことをすればいい」と母が言った言葉に対し、「やりたいことはあるけれど、お金にならないんだよ」と呟いたあの日を思い出す。

大学生の頃は、お金があれば普通の生活が送れて幸せになれると思っていた。しかし、社会人になってからお金があることと、幸せがイコールにならないことを知り、何が自分を幸せにしてくれるのか。今の私に必要なものは何なのかを自問し続けていた。

やりたいことは、どれほどやりたいことだろう。そこまでしてやりたいことだろうか。確かにお金は必要だけれど、私にとっての水は何だろう?
無限ループの末に4月からの配属希望先を私は提出していなかった。

今あるモノを大事に使えば夢だって買える。そう自分に言い聞かせた

電車が最寄り駅に着く。時間通りだ。扉が開くと、目の前にエレベーターがあった。ラッキー。
パスモをかざして改札を出るとき、残高が増えていることに気づく。あ、自動チャージされたのね。駐輪場へと向かう道のりは、うっすら前が見えるくらいだった。

桜が咲いたら今より給料は下がってしまうかもしれない。治療費に1万円は出せなくなるだろう。だけど、きっとその給料の差額分で私は夢を買おうとしている。そう考えたら、なんだかとってもいい買い物のように思えた。

靴も服も鞄も自転車も一通りのモノは揃っているんだから。「今あるモノを大事に使えば、夢だって買えるよ」と自分に言い聞かせた帰り道だった。