私はファザコンである。

幼い私にとって、父は頼りになる味方だった。
過保護で過干渉な母を諌めてくれる存在。子どもだからと押さえつけることをせず、私を一個人として尊重し、対話してくれた家族。母により課されたあらゆる禁止事項、ジュースを飲むこと、休日に友達と遊ぶこと、ゲームをすること、他にもたくさんの私を縛る決まりを取り除いてくれた。
残念なことに、父は仕事が多忙で泊まり込みも多く、家にいない時間が長かったが。そういう夜に母と喧嘩すると、泣き腫らした目を擦りながら、私は窓から外をじっと眺めた。ひょっとしたら父が帰ってくるかもしれない、と叶わぬ望みを抱いて。

たまの休日には、私としっかり関わってくれた。家での遊びならトランプやボードゲーム、うんと小さな頃ならプロレスごっこまで。外なら、公園に自然科学博物館、夏休みが取れれば旅行も連れて行ってくれた。

父は何をするときも、私に向き合ってくれる。本気で楽しそうに一緒に遊んでくれる。私の知らないことをわかりやすく教えてくれる。困ったことを相談すると、親身に聞いて適切なアドバイスをくれる。私が間違ったことをしたら、怒らずに叱ってくれる。

大好き。シンプルに。今でも臆面なく言える。本人に伝えるのはちょっと恥ずかしいが、酔っ払ったふりをして時々言ってる。

父が私の中で偉大すぎて、最近ではどう恩返しすれば良いのか分からず途方に暮れっぱなしだ。この前本人に聞いたら、おまえが元気でやってればいい、と言われて泣いた。父の愛が大きい。

大好きな父へ、甘いチョコの代わりにハンバーグを作りはじめた

娘からの気持ちを表現する場として、バレンタインデーを始めとする各種イベントはとても心強い味方だ。
20年近く前の2月、私は、パパにバレンタインのプレゼントをする、と意気込んでいた。小学校でバレンタインの概念を知ったのだ。
しかし、早々に壁にぶち当たる。父は、甘いものを全く食べない。毎晩晩酌をする、根っからの辛党だった。

思い悩む私に母が言った。
ハンバーグは?チョコと一緒で茶色だよ。
天啓だった。過保護で過干渉な母であるが、悪い人ではないので普段は仲がいい。その提案を採用して、ハンバーグをふたりで作った。私はたねをこねて形を作るくらいしかしなかったけど。
ともかく、娘からの愛情をこれでもかと入れたハートの形をしたハンバーグを、夜ご飯のおかずとして父に渡すことができたのだ。

それから毎年、2月14日付近にハートのハンバーグを作った。付近、というのは泊まりの仕事で父がその日にいないときは前後にずらすからだ。
母に手伝ってもらったとき。ひとりで作ったら焦がしてしまったとき。会心の出来だったとき。
どんなハンバーグを出しても、美味しいよありがとう、と父は必ず言ってくれた。

実家を出てからも作るハンバーグ。ハートの形ではなくても

実家を出た私は、バレンタインのハンバーグを作らなくなった。他県に住んでいて、大学の授業、就職した後には仕事があり、その日になかなか帰れない。

しかし、手料理を振る舞うことはよくある。帰省すれば、今日は私がご飯作るよ、とイベントに関係なく色々な料理を作っている。
ハンバーグも作る。普通の、楕円形のものを。何を作っても父は喜んでくれるけど、ハンバーグだといそいそと赤ワインを出してきて、なんだかいつもよりテンションが高い気がする。

敬愛する父へ。ハンバーグに込めた気持ちは伝わっていますか?
感じる100倍以上は絶対に大きいので、そこのところよろしくお願いします。