「僕はあなたのことを、子どもとしか見ることができない」
高校3年。私の初恋は呆気なく終わった。

初恋は二回りほど年上の男性、俗に言う大人の色気に心を奪われた

私の初恋は二回りほど年上の男性だった。背が高く黒髪で無精髭が特徴的な気だるげな人だった。
俳優に例えると華やかな「THE 二枚目」というより、脇役や悪役など幅広い役をこなしながらも、色気のある役は人一倍上手い俳優タイプである。言い方を悪くすればタバコやヒモが似合いそうな男性だ。

私は彼の俗に言う大人の色気というものに心を奪われていた。そして、見た目に限らず中身も素敵な男性だった。
人の意見や考えに簡単に左右されない芯の強さや、大抵のことには動じない落ち着き、私が何時間勉強しても追い越せないほどの知識量やユーモアセンス。同世代の男性にはなかなかないようなときめく要素が満載だった。
おそらく、今流行りのイケおじという言葉に間違いなく該当するだろう。

私は彼に懐いて毎日のように話しかけていた。彼はいつも笑顔で話を聞いてくれた。たまに頭を撫でてくれた。
時には彼の愚痴を聞くこともあった。愚痴を話してもらえるのは自分だけの特権だと思い、同時に対等に見られているような嬉しさを感じた。
時には同世代の男子と話している姿を見て、彼が不機嫌になることもあった。少しは異性として意識してもらえているようで嬉しかった。しかし、現実は違ったようだった。

彼の愛情は大人の女性としてではなく、幼い子どもとしての扱い

私は友達伝いで、彼が時折私のことを「娘のようだ」と話していたことを知った。「子ども」ではなく「娘」。子どもならまだしも娘なら、一生恋愛対象には入らない。
彼にとって大事な存在であることはわかった。でも、もっと別の存在でありたかった。同世代の男子と話していた時に、彼は親離れした感覚があったらしい。私はショックを受けた。

思えば、彼は私を年齢に合わないくらいに子ども扱いしていたような気がする。
例えば、私が落ち込んで泣いている時、彼は幼児の機嫌を取るような感覚で、甘いお菓子をくれた。
彼は私に広い背中に抱きつくことや腕を組むことを許してくれた。さすがに抱っこやおんぶはしなかったけど。
わがままやいたずらにもずっと付き合ってくれた。彼なりに私に対して愛情を注いでくれた。

でも、それはきっと、私を大人の女性ではなく、幼い子どもとして扱う愛情だった。今の私には少しわかる。多分、彼は大人の女性にはきっともう少し距離をとってもっと紳士的に接するだろう。

相手を「大人」の男性と意識し続けている限り、この告白は成功しない

冒頭に戻る。
私は告白の返事を受け入れた後、可愛がってくれたお礼を言って、その場を去った。
「ずるい大人」「子ども扱いしないで」。心の中でさんざん毒づいた。
「少し待っててもらえますか」など気の利いたことを言えばよかったと少しだけ後悔した。でも、子ども扱いされるような関係でさえ崩れてしまうことが怖かった。

そして最後に話して以来、もう何年も会っていない。ただ、もう一度告白するチャンスがあっても間違いなく振られるだろう。
なぜなら、私が相手を「大人の」男性と意識し続けているからだ。意識するたびに、向こうは私を相対的に「子ども」として認識するのだろう。直感でわかる。そして歪な「父娘」のような関係が出来上がる。

もし、告白が上手くいくならば、それは私が彼を「大人の」ではなく、「一人の」男性として受け入れる時である。彼の失敗も欠点も今度はこちらが受け止めなければ難しい。きっと私には人生経験豊富な男性を受け入れる度胸はない。だから、この「もしも」という思いは胸にしまう。
彼の「娘」のようなものとして生きた思い出を綺麗なままにして、今ここで初恋を供養する。